(11) 2006/2007シーズン公演(最終更新日:2007.8.27)-------- (大部分の画像は、クリックすると大きくなります)

2006.9.13:「ドン・カルロ」
2006.10.25:「イドメネオ」
2007.1.14:「ヤーザーガー/井筒の女」
2007.1.27:「ルイーズ」
2007.2.15:「フラ・ディアボロ」
2007.3.1:「さまよえるオランダ人」
2007.3.9:「アルバート・ヘリング」
2007.3.18:「運命の力」
2007.3.28:「蝶々夫人」
2007.4.24:「西部の娘」
2007.6.6:「ばらの騎士」
2007.6.21:「ファルスタッフ」
2007.7.20:「ドン・キショット」
2007.7.30:「スペース・トゥーランドット」
2007.8.25:「アゲハの恋」


2006.9.13:「ドン・カルロ」

新国立劇場2006/2007シーズン開幕の第1作として、ヴェルディ円熟期の傑作 「ドン・カルロ」が上演された。このオペラは、新国立劇場では、確か2度目の上演であるが、 前回(2001年12月) の公演は、ローマ歌劇場公演の装置・衣装をそっくり持ってきた写実的で豪華絢爛なもので、 歌手も超一流であっただけに、強く印象に残っている。このため、今公演も総体的には高水準の公演ではあったが、 前回ほどの感動は味わえなかった。 演出・美術を担当したマルコ・アルトゥーロ・マレッリは、、昨年の「フィデリオ」以来新国2度目の登場 であったが、全幕を通して共通の大型隔壁(ブロック)を自在に動かし、また随時、奥舞台までフルに使って、 シンプルながら、奥行きのある重厚な舞台を構成し、統一感のある見事な演出ではあったが、繰り返し見たい という視覚的な楽しみには、多少欠けるところがあった。また、衣装も総じて地味であった。
歌手は、個々には皆素晴らしかったが、組み合わせとしては多少の違和感もあった。タイトルロールのドン・カルロ は、一昨年「マクベス」でマクダフを好演したミロスラフ・ドヴォルスキー(T)が歌ったが、 強靭な美声を駆使して、好演であった。ロドリーゴは、やはり、新国2度目のマーティン・ガントナー(Br) が、歌ったが、美声と抜群の歌唱力でやはり好演であったが、ドヴォルスキーとの重唱の場面では、 声質の違いもあり、必ずしも名コンビとは思えなかった。 フィリッポ二世を歌ったヴィタリ・コワリョフ(Bs)は、渋く重厚な声で 存在感十分であった。一方、宗教裁判長 を歌った妻屋秀和(Bs)は、いつもの通り朗々とした美声を生かして好演であったが、個人的には、 フィリッポ二世役で聴いてみたかった(前回公演ではBキャストで歌っている)。エリザベッタを歌った 大村博美(S)は、メゾ的な響きを持ち、個人的には好みのタイプではないが、豊かな声量を持ち、 高音の響きも良くなかなかの好演であった。特に、第4幕の有名なアリア「世の空しさを知る人よ」は、 絶品であった。エボリ公女を歌った新国初登場のマルゴルツァータ・ヴァレヴスカ(MS)は、メト出演等 で世界的に活躍しているようであるが、中・低音は素晴らしい響きであったが、高音部の声が透明感に乏しく、 やや期待はずれであった。その他の脇役では、テバルトの背戸裕子(MS)が良かった。(2006.9.15記)


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2006.10.25:「イドメネオ」

モーツアルトの「イドメネオ」は、名曲の割には、上演の機会が少なく、筆者もこの オペラを実演で観るのは、今回で2回目である。(30年以上前にも板橋勝が出演した「イドメネオ」 を観たような記憶があるが、定かではない。)今回の公演は、歌手が良く、演出も先日(2006.4)の新国 立劇場での「ティートの慈悲」の場合のようにハメをはずしたものではなかったので、十分にこのオペラ・ セリアの名曲を堪能することができたが、正直、少々長過ぎるオペラだとも感じた。 タイトル・ロールのイドメネオは英国出身のジョン・トレレーヴェン(T)が歌ったが、ワグナーものを得意と しているだけに声がよく通り、貫禄十分であった。息子イダマンテは、欧州で大活躍中の藤村実穂子(MS)が 歌った。歌唱力抜群で、高音部の響きは素晴らしく、容姿も王子らしく颯爽としていたが、欲を言えば中低 音部にもう少し重厚な響きがほしかった。イーリアを歌った中村恵理(S)は、2005年の 藤沢オペラ・コンクールの際に印象 付けられた抜群の美声・歌唱力に加えて声も良く通り、なかなかの好演であった。エレットラを歌ったエミリ ー・マギーは、やはり一昨年の「フィガロ」 の伯爵夫人の場合同様、よく伸びる豊かな美声を駆使して好演であった。脇役として経種廉彦(アルバーチェ)、 水口聡(大祭司)、峰茂樹(声)が出演し、管弦楽は、ダン・エッティンガー指揮下の東フィルが担当した。 また、いつものことながら新国立劇場合唱団による合唱の響きは、素晴らしかった。
一方、グリシャ・アサガロフの演出は、奇をてらうところが無く、古代クレタ島の神殿の様子を色鮮やかに 再現した。特に合唱団員を含めた出演者の衣装(担当: ルイジ・ペーレゴ)は、色、形とも大変見事で目を楽 しませてくれた。しかし、第三幕では、巨大な海神ネプチューン(ポセイドン)の裸像(置物)を登場させ たが、迫力ある動きを出すためには、むしろスクリーンを活用した方が良かったのではないかと思った。(2006.10.26記)


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(2006.11.30 -12.9:「フィデリオ」)

(2006.12.1- 10 :「セビリアの理髪師」)

2007.1.14:「ヤーザーガー」/「井筒」

東京室内歌劇場の主催の貸劇場公演として、能を原作とする短編オペラ2曲が上演された。いずれも初めて観る 珍しいオペラであった。

教育劇「ヤーザーガー」:

都民芸術フェスティバルの一環として上演されたこのオペラは、原作のドイツ語ではJasager、英語でいえば 'Yes-sayer'または'Yes-man'となるが、能「谷行(たにこう)」を原作として、有名な「三文オペラ」同様、 ベルトルト・ブレヒトが台本を書き、クルト・ワイルが作曲したものである.珍しいオペラなので、 てっきり日本初演かと思ったが、ネット上で事前に調べたところ 教育劇(school opera)の名作といわれるだけに、 すでに1932年に東京芸術大学音楽学部の前身である東京音楽学校の奏楽堂で プリングスハイムの指揮下に初演されていることがわかった。 このオペラは、40分足らずの短い曲であるが、能の「谷行」では、最後に主役の少年が救われるのに対し、 このオペラでは少年が、谷底に突き落とされるところで終わってしまうこと及び曲名を 「ヤーザーガー」としたことに対して持った疑問は、公演プログラムに 載せられた早崎えりな、岩淵達治両氏の解説をみて氷解した。すなわち、少年がよみがえるという最後の 場面が、当時の英訳では、省略されていたことと、ブレヒトがマルクス主義に傾倒しており、 「共同体の損益のためには、自己を捨てるべき」と考えていたらしいこと等である。 このオペラは、原語(ドイツ語)で歌われたが、栗山昌良の演出は、モノトーンの簡素な舞台・衣装 に統一し、また、合唱団員を地謡のように並ばせたりして能舞台の雰囲気も漂わせていた。 歌手には、少年役の赤星啓子(S)、師匠役の星野淳(Br)及び母親役の岩森美里(MS) という声に力のある実力者を集め、いずれも好演であった。

(能面写真:「能面」サイトより)


詩歌劇「井筒の女」:

このオペラは、「伊勢物語」を原典とする能の名曲 「井筒」に基づき、まえだ純・岡野弘彦の台本に 別宮貞雄が3年がかりで作曲したもので、勿論、今回が世界初演である。 別宮は、 「新ロマン主義音楽」の作曲家の一人とみなされているだけに、抒情的な旋律を得意としており、声楽コンクール でもたびたび歌われる「さくら横ちょう」をはじめ多くの歌曲もある。オペラでは、これまでに「三人の女達の物語」 及び「葵上」を観たが、前者は特に面白かった。この「井筒の女」も、何作かの和歌やわらべうたを巧みに取込み、 耳当りの良い音楽が流れた。特に第一景が印象的であった。物語は、平安時代の単純な宮廷の恋物語かと思われたが、プログラムでは 田口尚幸により「伊勢物語」との関連で、複雑かつ奥深い背景が解明されており、なかなか興味深かった。 このオペラは、勿論日本語(字幕付き)で歌われたが、発音が大変明瞭で聞き取りやすかったのは、ありがたかった。 何年か前に、南禅寺の薪能で「杜若」を見たときには、言葉がほとんど聞き取れなかったことを思い出した。 一方、歌手では、絵師を歌った山下浩司(Br)及び則子を歌った田島茂代(S)が、特に印象に残った。 装置や衣装も小劇場公演らしく大変簡素なものであったが、貴族社会の優雅さは、必要最小限、表現されていた。 (2007.1.16記)

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2007.1.27:「ルイーズ」

今公演は、東京オペラ・プロデュ−ス主催の「貸し劇場公演」であるが、日本初の原語(仏語)上演 とのことであった。 シャルパンティエ 作曲のこのオペラは、音楽の友・別冊(1986)の「オペラ名曲250」にも選ばれて いるが、今回初めて実演に接し、名曲を堪能することができた。 シャルパンティエの多彩で軽妙な音楽は、第三幕のソプラノの名アリア「その日から」 を除いても大変素晴らしく、作曲者の存命中、一つの劇場(コミック座)のみで50数年間に 1,000回も上演されたということも頷ける。また、1900年に初演されたこのオペラのテーマは、 定職のない若者に熱を上げる一人娘と両親の葛藤であるが、これは現代日本にも当てはまりそうで、 親しみがもてる。 歌手は、適材適所で概ね好演であった。題名役の及川睦子(S)は、初めて聴いたが、 仏語の似合うやわらかい美声の持主で、容姿も役にピッタリであった。 ジュリアンを歌った内山信吾(T)は、硬質の美声を生かして不良っぽい青年役を好演した。 父役の羽淵浩樹(Br)は、相変わらずの強靭な美声を駆使して圧倒的な迫力を示した。 母役の小畑朱実(MS)は、年齢を感じさせる渋めの声で、羽淵との組合せも良く、まずまずの好演であった。 また、20人を超える脇役陣には、多少玉石混淆の傾向があったのはやむをえなかった。 一方、各幕とも回り舞台の中心に据えられた階段を活用して巧みにドラマが進められたが (演出:松尾洋)、パリへの憧れが歌われる場面などでは、瞬間的にでももう少し華やかさ ほしい気もした。 なお、オーケストラは、時任康文指揮下の東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団。(2007.1.29記)

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2007.2.15:「フラ・デイアボロ」

「小劇場オペラ第16作」として、 オペレッタの原点ともいわれる オペラ・コミーク の代表作として知られる フランソワ・オーベール作曲の「フラ・デイアボロ」が上演された。この曲中のディアヴォロの歌「岩にもたれた」は、よく単独に歌われ、 手持ちのCD:「浅草オペラ珠玉集」にも入っている。 このオペラのストーリーは、フラ・デイアボロ(=Brother Devil)と呼ばれた実在の人物 の伝記からは、大きくかけ離れているようであるが、今回の公演では、さらに舞台を1970年代の日本の温泉宿に移し、大筋では 原作にしたがっているものの、「3億円強奪事件」を絡ませた荒唐無稽なものとなった。 このオペラは、ビデオを含めて初めて接したので、比較はできないが、田尾下 哲の演出は、 大変凝ったものであり、舞台いっぱいに稲荷神社の鳥居を併設した2階建の温泉旅館の断面が広がり、1階でドラマが 進行しているときにも、2階の各室では麻雀や芸者を入れた宴会を同時進行させた。一方、中央奥のスクリーン及び客席中央部上方の空間にも 小型液晶スクリーンを設置し、適宜活用した。 ドラマ的には、アリアも含めて全て日本語での上演だったので、分かりやすく、また、ギャグ満載で面白かったが、やや ドタバタ過剰気味で折角の軽妙な音楽の印象がかなり薄くなってしまった。喜歌劇は、少なくとも台詞の部分は日本語で聴いたほうが、 直接的で楽しいが、今回登場人物の名前が全て原作どおりのカタカナ名であったのは、多少不自然に感じた。 昨夏観たブルー・アイランド版(青島広志)の「フィガロの結婚」も、舞台を200年続いた老舗の和菓子屋 に設定したものであったが、アルマヴィーヴァ伯爵は、有馬美馬社長、スザンナが須佐杏奈などと和名を当てており、 より自然に感じた。なお、この「フィガロ」は、太田直樹、赤星啓子の名演もあり、なかなか面白かった。 なお、今公演では、音楽的にも、ドン・ジョヴァンニ、カルメン、フィガロなどからのアリアの断片をドラマの中にうまく取込んで、笑いを誘ったが、 を何の脈略もなくトゥーランドットの「誰も寝てはならない」を挿入したのは、ややサービス過剰であったか。 歌手は、総じて適材適所で良かった。題名役のフラ・ディアボロを歌った成田勝美(T)は、持前の強靭な美声と長身の容姿がいかされ、適役であった。 パメラ役の林美智子(MS)は、美声のきかせどころは少なかったが、コミカルな演技が抜群で、彼女の新しい側面を発見した気がした。コックバーン 卿の今尾滋(Br)、ロレンツォの大槻孝志(T)、ツエルリーナの諸井サチヨ(S)もそれぞれ良かったが、大澤建(Bs)のマッテオがいかにも温泉宿の 主人といった風貌で、歌もなかなか良かった。(2007.2.16記)

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2007.3.1:「さまよえるオランダ人」

大作曲家ワグナーの創作活動における大きな転機にもなった名作「さまよえるオランダ人」が、 開場10年目でやっと新国立劇場で上演された。 マティアス・フォン・シュテークマンの演出は、正統的なものであるが、新国立劇場の 舞台機構を活かし、久しぶりに見る素晴らしい舞台であった。トラッキング・ワゴン とスクリーンを活用した第一幕の嵐の場面、第一幕及び第三幕の幽霊船の出現及び沈没の 場面(特に真赤な帆の動き)には、息を呑む迫力があった。第二幕の娘達の糸紡ぎの場面 (色調、コントラスト)も美しかった。しかし、最後の場面で、ゼンタが幽霊船に乗り込み 船とともに沈んで行き、同時にオランダ人は地上で死んでゆく(救済される)演出には 多少の違和感があった。 なお、このオペラは、最近の欧米では三幕を通して上演することが多いそうだが、今公演では、 第一幕の後に休憩があり、二幕と三幕が続けて上演された。 一方、歌手も実力あるスペシャリストを集め、きわめて高い水準の上演であった。 オランダ人を歌ったフィンランド出身のユハ・ウーシタロ( BsBr)は、この役を歌ったDVDもある実力者であるが、重厚な声で迫力満点であった。 ゼンタの父親ダーラントは、ドイツで活躍中の 松位浩(Br)が歌ったが、大変豊かな美声と優れた歌唱力を持ち、バイロイトの常連にもなれそうな 実力者に思えた。エリックを歌ったエンドリック・ヴォトリッヒ(独、T)は、バイロイト音楽祭で一昨年この役を歌い、 昨年は「ワルキューレ」のジークムントを歌っている実力者である。ジークムント役については、ネット上では厳しい 批評も見られるが、強靭な美声と端正な歌唱は個人的には大変気に入った。ゼンタ役のアニヤ・カンペ(独、S) も強靭な美声を持ち、容姿も良いので、やはりバイロイト等で活躍しているのもうなずける。 脇役では、マリーの竹本節子(MS)は出番は少ないが、豊かな美声を響かせた。 人数も多かったせいか合唱も一段と迫力があった。管弦楽は、ミヒャエル・ボ−ダー指揮下の東饗。 (2007.3.3記)

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2007.3.9:「アルバート・ヘリング」

恒例の新国立劇場オペラ研修所の研修公演として今回は、ブリテン作曲の「アルバート・ヘリング」が選ばれた。 ブリテンのオペラでは、昔「真夏の夜の夢」を見た程度で個人的には余り関心がなかったが、2001年4月に小劇場で見た 「ねじの回転」が大変面白かったので、その後「Billy Budd」のDVDを買ったり、2002年2月の 「アルバート・ヘリング」公演では横浜(関内ホール)まで観に出かけたりした。 今公演は、研修公演とは言うものの出演歌手も演出も大変素晴らしく、このオペラの面白さを再認識することができた。 ストーリーは、マザコンともいえるいくじない八百屋の息子が、たまたま村祭りで「メイ・キング(May King)」に選ばれたこと がきっかけで親離れする顛末をコメディータッチで描いたものである。 口笛の合図で序曲が始まるデイヴィッド・エドワーズの演出は、大変楽しく、また目を楽しませてくれた。遊園地の子供の国 のような色鮮やかな建物群を組合せて村の広場や八百屋の店先の場面を現出し、 人の歩行や自転車走行の場面では、回り舞台をうまく利用した。また、「メイ・クイーン」選考 会議の場面では、候補者名が挙がるたびに、本人が舞台に現れコミカルな所作をする演出も面白かった。 一方、歌手は脇役にも賛助出演の研修所OBを含めた実力者を配し、総じてなかなか高水準の公演であった。題名役のヘリング を歌った中川正崇(T)は、声量はともかく大変声のきれいな人で、ヘリングのイメージにぴったりであった。昨年11月の 「研修所リサイタル」でも、なかなかの好演であったことを思い出した。ビロウズ夫人役のオランダ出身のエレン・ファン・ハーレン (賛助出演、S)は、さすがにベテランらしく貫禄十分であった。家政婦フロ−レンス役の小林紗季子(第9期生、MS)もまずまずの好演。 ワーズワース先生役の田島千愛(第8期生、S)は、コンクール等で何度か聴いているが、明るく輝かしい高音が魅力的であった。 ゲッジ牧師役の青山貴(Br、賛助出演)は、朗々とした豊かな美声で歌い、存在感一番であった。アップホールド市長役の河野知久 (第7期生、T)は、入所時は確かバリトンであったが、昨年11月のリサイタルではテノールとして出演し、しかも高音部がかなり 不安定で驚かされたが、今回の役では強靭な美声が活かされ、好演であった。バッド警察署長役の森雅史(8期生、Bs)も、 美声の持主で今後の活躍が期待される。シド役の近藤圭(9期生、Br)は、研修所リサイタルでのオネーギンもよかったが、今公演でも 歯切れの良い美声で好演した。ナンシー役のアイルランド出身のマーサ・ブレディン(MS)は、近くで見ても十代の 美少女にしか見えず、しかもやわらかい美声で歌も上手く、まさに適役であった。ヘリング夫人役の増田弥生(賛助出演、MS)は、 さすがに歌も演技も上手く好演であった。管弦楽は、アンドリュー・グリーンウッド指揮下の東京シティ・フィル。 (2007.3.11記)

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2007.3.18:「運命の力」

今公演は、1年前の公演と同じ演出(エミリオ・サージ)だったので、当初はパスするつもりであったが、 歌手が大幅に入れ替わっており、特に主役級で出演する期待の日本人歌手3人(水口、林、妻屋)及び次代を担うヴェルディ・ソプラノ として前評判の高いインドラ・トーマスの声が聴きたくなり、出かけた。赤を基調とした舞台装置は、昨年と同じであったが、 新国率劇場の舞台機能も活かされており、見直してみると、第4幕が余りにも簡素であることを除けば、視覚的にも悪くはなかった。 歌手は、期待の3人の日本人の活躍もあり、総体的には高水準であった。 米国出身のインドラ・トーマス(S)は、レオノーラを情緒豊かに熱演し、歌唱力も抜群であったが、声(特に高音域)の響き に透明感がやや乏しく、個人的には余り好きになれなかった。また、かなりの巨躯であったのも予想外であった。 ドン・アルヴァーロ役は、3年前の小劇場公演の「外套」での好演が強く印象に残っている水口聡(T)が歌ったが、 持前の強靭な美声を駆使して期待通りの好演であった。難役のドン・カルロを歌ったウラディミール・チェルノフ(Br)は、 水口とのバランスもよく、やはり、なかなかの好演であった。また、このオペラの主要な役のひとつであるグァルディアーノ神父は、 昨年カラトラーヴァ侯爵を好演した妻屋秀和(Bs)が歌ったが、深々とした豊かな美声は、まことに心地よく響き、一番の好演であった。 一方、ジプシーのプレツィオジッラは、林美智子(MS)が歌ったが、歌はもとよりあでやかな容姿も素晴らしかった。メゾなので、ヅボン役も多いが、 美女はやはり女役が似合う。カラトラーヴァ侯爵役の小野和彦(Bs)は、特に目立たなかったが、まずまずの歌唱であった。 修道士フラ・メリトーネ役の晴雅彦(Br)は、昨年も同役を歌ったが、声よりもコミカルな演技が目立った。 なお、指揮者が井上道義からマウリツィオ・バルバチーニに代わったが、管弦楽は、昨年同様東饗が出演。(2007.3.20記)

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2007.3.28:「蝶々夫人」

今回の「蝶々夫人」は、 演出が視覚的にあまり楽しくなかった2年前の公演と同じ栗山民也であ ったので、多少ためらったが、やはり2年前の「道化師」でカニオを好演した超大物テノールのジュゼッペ・ジャコミーニ が、デビュー役のピンカートンを歌うということと、初めて聴く題名役の岡崎他加子にも関心があったので、出かけることにした。 舞台は、歌詞にあるように坂の上にあるべき蝶々さんの家を、坂の下に設定したのは まだ良いとして、モノトーンに近い室内や庭は、簡素というよりはむしろ殺伐としており、見直してみてもやはり楽しいものではなかった。 せめて低木の植込み位配置して色を付けてもも良かったのではないか。
しかし、歌手は脇役を含めてきわめて水準が高かったので、十分にこの名曲を堪能することができた。 まず、蝶々夫人を歌った岡崎他加子(S)は、初めて聞いたが、 上から下までつやのある豊かな美声は、大変素晴らしかった。内外での今後の活躍が期待される。ピンカートンは、この役は 20年ぶりというジュゼッペ・ジャコミーニ(T)が歌った。ジャコミーニは、前述の「道化師」やフランコ・コレッリ記念コンサート での「オテロ(抜粋)」でも素晴らしいドラマティックな声を聴かせてくれたが、今回も力強い高音は、健在であった。中低音部の響きには 、多少若さが不足しているようにも感じた。しかし、軍服姿の容姿や動きには、65歳を超えているとは思えない若々しさがあった。 シャープレスを歌ったクリストファー・ロバートソン(Br)は、持前の重厚な美声が活かされ、適役であった。スズキ役の大林智子(MS) 及びヤマドリ役の小林由樹(Br)も主役に負けない声・歌唱力を披露し、好演であった。 若杉弘指揮下の東響も、熱演でドラマを盛り上げた。 (2007.3.30記)

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2007.4.24: 「西部の娘」

プッチーニの 「西部の娘」は、米国西部開拓時代を舞台としたドラマ性の強いオペラであるが、 個人的にはTVやビデオでみたことがあるだけで、実演に接したのは、今回が初めてであった。 この曲は、プッチーニ自身が甘美な旋律に溢れたオペラを意識的に脱皮しようとした作品であり、 重厚なオーケストラの咆哮を伴った実演は、さすがに圧倒的な迫力があった。 しかし、演出のアンドレアス・ホモキには2年前、白いダンボールだけの殺風景な「フィガロの結婚」で失望させられたが、 やはり今回も視覚的な魅力に乏しかった。特に第一幕の酒場の場面では、うず高く積み上げられた茶色のダンボール ばかり目立ち、酒場の雰囲気は全くなかった。また酒場の女主人ミニーに清掃夫の制服のような橙色 のつなぎを着せたのは、場違いに思えた。第2幕と続けて演奏された第3幕も、例のダンボールを組替え ただけの舞台であったが、ここでは舞台の左側からダンボールの山に強い光を当てコントラストをつけるとともに、 ダンボールの山の一部を突然崩し、人物を登場させたのは意外性もあり、それなりに悪くはなかった。 第2幕(ミニーの小屋)ではミニーもスカートをはいていた。なお、公演プログラムその他によるとによるとホモキは、 舞台を原作(1,850年頃のカリフォルニア地方の鉱山のふもと)から離れ、現代で人々が仕事のためだけに集まる 倉庫の中のような場所に設定し、現代の世界の共通のテーマである「移住」、「孤独感」、「故郷からの離別」 を取り上げ、西部劇というイメージは一切使わないことにしたと述べている。きわめて写実的な手持ちのビデオ (1992年、メト公演)のようにとまでは言わないが実演に接する機会の少ないオペラは、 やはり正統的な演出で見たかったというのが本音である。 一方、歌手は、主役の3人はもとより脇役にも実力者を配し、大変水準の高い公演であった。 ミニー役には、当初、名歌手キャロル・ヴァネスの出演が予告されていたので、大いに期待していたが、 彼女はかなり前にキャンセルとなり、代わって若手の ステファニー・フリーデ(S)が歌った。彼女は近年ドラマティックな役を得意にしているようであるが、 大変豊かで魅力的な美声を持ち、気丈な女性ミニー役を見事に歌い演じた。初演時にはカルーソーが歌ったという ジョンソン役は、アティッラ・キッシュ(T)が好演した。3年前新国の「カヴァレリア」のトゥリッドゥ の時よりも力強さが増したように感じた。ランス役は、欧州で活躍中というルチオ・ガッロ(Br)が歌ったが、 男性的な力強い声は大変魅力的であった。 脇役では、アッシュビー役の長谷川顕(Bs)が出番も多く存在感十分であった。 管弦楽は、ウルフ・シルマー指揮下の東フィル。(2007.4.26記)

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2007.6.6:「ばらの騎士」

R.シュトラウスのオペラは、新国立劇場ではこれまでに「サロメ」、「アラベラ」、「ナクソス島のアリアドネ」及び「エレクトラ」 の4作が上演されたが、最大の名曲である 「ばらの騎士」がやっと今回上演された。今公演は指揮者、演出家及び歌手に適任者を揃えた高水準の演奏で、演出も良く、名曲を堪能することができた。 序曲が終わり、幕が上がるとすっきりした明るい元帥夫人の部屋が現れ、正統的な演出の姿勢がうかがわれ安心した。しかし、公演プログラム を見てはじめてわかったのは、時代設定を原作の貴族社会全盛の18世紀中頃から、原作の設定がむしろ不自然との考えからか、 初演の翌年で第一次世界大戦勃発直前の1912年に移したことである。三幕とも廊下付きの部屋としたのは、面白かったが、第二幕のファーニナル家 の大広間の場面は、手前のじゅうたんに制作上のミス(形状、模様)が見受けられたものの、やや誇張した遠近法を用いた舞台は、 なかなか見事であった。登場人物の動きも自然でよかった。
一方、歌手の中核にはいつものごとく今回も世界各国の適任者が登場した。元帥夫人を歌った新国初登場のフィンランド出身のカミッラ・ニルント(S)は、 豊麗な容姿と気品のある歌唱で存在感十分であったが、肝心の声は透明感が乏しく、 やや期待はずれであった。一方オクタヴィアンは、昨年「こうもり」のオルロフスキー公爵役で絶賛を博したおなじみのエレナ・ツィトコーワ(MS、ロシア) が歌った。小柄な彼女は、若干個性的な美声の持主であるが、豊かでのびのびとした歌唱はひときわ見事であった。 オックス男爵を歌ったやはり新国初登場のペーター・ローゼ(Bs、英国)は声も体も雄大であったが、好色で尊大な男爵を見事に歌い、演じた。 ファーニル役のゲオルグ・ティッヒ(Br、オーストリア)及びゾフィー役のオフェリア・サラ(S、スペイン)も好演であった。妻屋秀和(警部)、 水口 聡(テノール歌手)、背戸裕子(アンニーナ)等の脇役陣も充実しており、上演の質を高めた。 また、拡大ピットいっぱいの大編成オケ(ペーター・シュナイダー指揮下の東フィル)もいつものごとく熱演であった。 (2007.6.8記)


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2007.6.21:「ファルスタッフ」

今公演は、2003/2004シ−ズン公演の再演であり、指揮(ダン・エッティンガー)、 管弦楽(東フィル)、演出(ジョナサン・ミラー・田尾下 哲)、美術・衣装(イザベラ・バイウォーター)等は 前回と同じであったが、歌手は、妻屋以外は全てかわった。 主題役には、数年前の「トウキョウリング」等で活躍したアラン・タイタス(Br)が歌ったが、裏声の発声は今一で あったが、つやのある豊かな美声を駆使し、大変素晴らしかった。フォード役を歌った、やはり新国では お馴染みのヴォルフガング・ブレンデル(Br)も声、歌唱とも完璧で同様に好演であった。 フォード夫人アリーチェを歌ったセレーナ・ファルノッキア(S)は、容姿も良く、歌もまずまずながら声は多少色気不足に感じた。 この点,ページ夫人メグを歌った大林智子(MS)はなかなか良かった。脇役では、タイタス、ブレンデルに負けない声の迫力を持つ ピストーラ役の妻屋秀和(Bs)、美声と抜群の歌唱力を持つナンネッタ役の中村恵理(S)が目立ったが、フェントン役の樋口 達哉(T)、医師カウイスを歌った大野光彦(T)も熱演であった。 しかし、クイックリー夫人を歌ったカラン・アームストロング(S)は、METをはじめ欧米で活躍したのち、演出も手がけるベテラン 歌手であるが、演技面での存在感は別として、ソプラノの彼女には多少無理があったのか、低音部の響きには不満が残った。
演出・装置は、細部を除いて前回どおりなので、新鮮味はなかったが、壁面パネルの巧みな移動・折畳みによる素早い場面転換は、 やはり鮮やかであったが、全幕を通して固定された舞台上部の絵入りパネルの違和感も従来どおりであった。なお、ここ数年の間に シェイクスピアの「ウインザーの陽気な女房たち」を原作とした三つのオペラ:ヴェルディの「ファルスタッフ」、ニコライの 「ウインザーの陽気な女房たち」及びヴォーン・ウイリアムスの「恋するサー・ジョン」 を観る機会があったが、やはり「ファルスタッフ」最もよく演奏されるだけの名作であることを再認識した。 (2007.6.23記)

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2007.7.18: 「ドン・キショット」

マスネのこのオペラは、新国立劇場1999/2000シーズン公演として取り 上げられたが、今公演は、潟 ヴォーチェ主催による「貸し劇場公演(中劇場)」としての再演である。指揮者、演出家 とも前回と同じであったが、2001年12月の「ドン・カルロ」公演(フィリッポ二世)での 好演が強く印象に残っているロベルト・スカンディウッツィがタイトル・ロールを歌うということだったので、是非これを 聴きたくて出かけた。 スカンディウッツィ(Bs)は、今公演でも艶のある深々とした豊かな声を披露したが、弱声のコントロールも見事であった。 サンチョ・パンサを歌ったフランスのバスの重鎮であるアラン・ヴェルス(Bs)も立派な声でスカンディウッツィに張り合い 、好演であった。 ドゥルシネを歌った米国出身のケイト・オールドリッチ(MS)は、公演のチラシには「映画女優のような美貌、 ダンサーのごとき肉体、驚くべき美声」と書かれていたが、確かに美貌の持主で、豊かな美声は抜群であった。主題役の ライモンディが突出気味であった2000年新国立劇場公演よりも、主役3人のバランスが良かった。なお、管弦楽は、 アラン・ギンガル指揮下の東フィル。
ピエロ・ファッジョーニの演出は、1982年のフェニーチェ歌劇場での初演以来、世界各国で公演されている名演出であり、 今公演も細部の改善・変更は別として、基本的には、2000年公演と同じであったが、奥舞台を有効に使い、 奥行きのある重厚な舞台を設定するとともに、風車への突撃場面では舞台左右で4基の巨大な風車を回すとともに 奥のスクリーンも活用し、目を見張る効果をあげた。また、要所要所でのバレエやアクロバットの挿入は、 聴衆を楽しませる見事な演出であった。今公演は、ラ ヴォーチェのこれまでの公演同様、後日DVDとして発売されるようであるが、 NHKのハイビジョンでの放映も期待したい。2003年夏公演の「ノルマ」は、幸いNHK ハイビジョンで放映された際に録画したが、歌唱、映像とも大変素晴らしく、筆者の貴重なオペラ・コレクションの一つになって いる。(2007.7.20記)

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2007.7.30:「スペース・トゥーランドット」
このオペラは、”新国立劇場 こどものためのオペラ劇場”の第2作である。 昨年の公演の際も、話題のこのオペラを是非観たいと思ったが、原則として子供同伴となっていたので、 勧誘した小学生の孫娘の同意が得られず残念ながら断念した。今年も諦めかけていたが、幸い残席があり、 大人だけで入場可能なチケットを入手できたので中劇場へ出かけた。 田尾下哲(台本・演出) によるこのオペラは、”三つの謎解き”等 原作のプッチーニの「トゥーランドット」の要素を取り入れてはいるが、舞台を宇宙に移し、登場人物も カラフがキャプテン・レオ、リューはラベンダー姫、ティムールはフローラの王、3人の大臣(ピン、パン、ポン) は、3人のギャング(ペペ、ロン、チーノ)に置換えるとともに、レオとラベンダー姫が 結ばれるハッピーエンドとなっており、ストーリーは全くの別物に近い。 さらに、体にスーパー・コンピューターが内蔵されたサイボーグのタムタムが狂言回しとして登場した。 演奏時間も1時間強にまで短縮されている。 曲は、新国立劇場合唱指揮者の三澤洋史が編曲したもので、カラフやリュウの有名なアリアは勿論取り込まれている。 特に、荒川静江で有名になった「誰も寝てはならない」は、男女の歌手によって繰り返し歌われた。 出演歌手の中核となるトゥーランドット役の高橋知子(S)、ラベンダー姫役の中村恵理(S)及びレオ役の 小原啓楼(T)はみな素晴らしい美声をもち、なかなかの好演であった。タムタムの直野容子(S)の語りの巧さも抜群であった。 PAをフルに活用したため、小編成のアンサンブルの音も十分迫力があった。中劇場の優れた舞台機構とともに 映像を活用して夢の世界が創り出され、大人も十分に楽しむことができた。また、登場人物の衣装もなかなか 凝ったものであった。「小中学生のためのオペラ鑑賞教室」でも開設してこのような楽しいオペラを見る機会が 増えれば、将来のオペラファン急増が期待できるのではなかろうか。(2007.7.30記)


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2007.8.25:「アゲハの恋」

国立(くにたち)オペラ・カンパニー 青いサカナ団を率いる神田慶一作曲による新作オペラ「アゲハの恋」が、芸術文化振興基金の助成を受け、 小劇場での「貸し劇場公演」として上演された。昨年の再演時に観た彼のオペラ「僕は夢を見た、こんな満開の桜の樹の下で」がなかなか 面白かったので、当日は「日本音楽コンクール」の一時予選(声楽)を中座して、期待を持って出かけた。神田慶一は、多才な人で、 このオペラでも原作、脚本、作曲、指揮、演出を彼一人で手がけている。ストーリーは、子供たちが捕らえた アゲハチョウをギタリストのケンジが唄と引換えに放してやったお礼に人間の姿として現れたアゲハが、ケンジの苦境を救い、 短期間ながら愛人となるというもので、いわば現代版の「夕鶴」である。舞台では、気持ちの悪いオカマ言葉が飛び交ったりもした。 音楽的には、小編成のオケのほかにギター(松尾俊介)が大活躍し、ポップス調の軽快な音楽が続き、ジャズのスタンダード・ナンバーの 断片も聞こえたようだったが、台詞だけの部分はなく、オペラの形式を保っている。歌も繰り返し歌われる「アゲハの唄」のほか声を聴かせる場面 も多く、はじめて聴くオペラながら結構楽しむことができた。
歌手は、ケンジ役の秋谷直之(T)、アゲハ役の角野圭奈子(S)、ミッチ役の中西勝之(Br)、ルビー役の藏野蘭子(S)、ドン神呂(Br)等は、 容姿を含めてまさに適材適所で皆好演であった。秋谷は、昨年主演したプッチーニの「エドガール」の場合同様甘い美声が生かされていた。 角野を聴くのは、少なくともオペラでは、はじめてであったが、豊かな美声が良く響いた。ワグナー専門かと思っていた藏野の歌姫姿は、なかなか 妖艶であった。一方、衣装や舞台装置は、簡素なもので、特筆するものはなかったが、ツララのように布切れを垂らした背景の効果は、筆者の座席 が舞台右奥(2階)であったため、正面から見た効果が確認できなかったのは、残念であった。
今後も神田慶一の創作活動に注目してゆきたい。 (2007.8.27記)


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