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クリックするとオペラハウスが出ます (5) 2000/2001シーズン公演(最終更新日:2001.7.30)

2000.9.23:「トスカ」

今シーズンの開幕を飾って「トスカ」選ばれたのは、この曲が1900年にローマで初演されてから今年で丁度100年という節目の年 に当たるためとのことである。 この日のタイトルロールは、スカラ座を中心に活躍中の林康子が歌った。実演で聴くのははじめてであり、大いに期待していたが、 声(特に中低音)に潤いが乏しく感じられ、やや失望した。カヴァラドッシは、「仮面舞踏会」、「蝶々夫人」に次いで国立劇場3度目 の出演であるアルベルト・クピードが歌ったが、今回もすこぶる快調で、張りのある美声を響かせた。スカルピアは、スペイン出身の 世界的なバリトンであるホアン・ポンスが歌ったが、バスから転向したためか、重厚な美声できわめて適役であった。今公演の脇役陣は、 概ね低調で、動作もぎこちなかった。 十数年前の観光旅行の際に「トスカの城」といわれるサン・タンジェロ城を見たことや最近音楽映画の「トスカ」を見たため、装置や 演出にも強い関心を持った。装置は、きわめてオーソドックスなものであったが、新国立劇場の高度の舞台移動機能を利用した舞台転換 (特に第3幕)は効果的であった。また、第3幕では銃殺されるカヴァラドッシが舞台の客席側に立ち、銃火がいっせいにに客席に向 かって放たれたのは、迫力十分であった。(00/9)

 

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2000.10.15:「魔笛」

一昨年度に続く国立劇場としては、同じ演出家(ミヒャエル・ハンペ)による2回目の「魔笛」公演であったが、演出に大幅な変化 がみられ少々驚かされた。空間を飛ぶ小鳥やパパゲーノの首吊り前後ののメルヘンチックな場面は踏襲されたが、国立劇場の機能をフルに 生かし、舞台の上下移動、2階層の舞台の使用等大きな動きが一層多用された。火と水の試練の場も、今回は高さもあり、迫力十分であっ た。また、夜の女王は、第一幕では天上から降下し、第二幕では地底に消えたのはユニークな演出であった。 演奏は、夜の女王が、前回同様崔岩光が歌った他は、新人中心のキャストであったが、全体的にはまずまずの出来であった。欲を言えば タミーノ(高野二郎)、侍女I(山口道子)、侍女II(水口恵子)には、もう少し柔らかい声の人を配してほしかった。ザラストロは昨シ ーズン(2000/6)のドン・ジョヴァンニの騎士長で好演した妻屋秀和が歌ったが、ザラストロとしては若すぎる感がなくもなかったが、 艶のある朗々とした美声で際立って立派であった。今後が楽しみな貴重なバス歌手である。 崔岩光は、手慣れた夜の女王であり、 やはり素晴らしかったが、彼女には「椿姫」やモーツアルトのオペラ(「フィガロ」の伯爵夫人等)での出演も期待したい。 指揮はヨーロッパの指揮者コンクールで優勝した若手の村中大祐(オーケストラ:東フィル)であったが、開演前の五十嵐喜芳オペラ芸術 監督との対談の中で「魔笛」の筋書きの変更(ザラストロの善人化)や使用するチェレスタ(指揮者自演)等について興味深い話を披露 してくれた。なお、開演前45分頃から始まるの五十嵐監督の解説はいつも有益であるが、もう少し開演直前にやってくれればありがたい。 <00/10>

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2000.11.3:「エウゲニ・オネーギン」

優れた原作(プーシキン)にも恵まれ、チャイコフスキー(写真)が精力を傾けて作曲したこのオペラは、抒情的なアリアや豪華な舞踏会の場面が ふんだんに織込まれている名曲であり、「オペラ・ベスト10」を選ぶとすれば、上位にランクしたいオペラである。今回の公演は、歌手 や演出に内外の適材を集め、大変見応えのあるものとなった。
歌手は、主役級がいずれも水準の高い歌を聞かせてくれた。 タチヤーナは、一昨年の「ローエングリーン」でエルザを好演した小濱妙美が歌った。声がやや重めであるため17歳の純情な娘の役に は、必ずしも最適とはいえなかったが、粘りのある美声はロシア語にも合っているようで、なかなかの好演であった。レンスキー役のゾ ラン・トドロヴィッチ及びオネーギン役のロベルト・セルヴィレは、いずれも甘い美声の持ち主であったが、役柄からはレンスキーには もう少し渋みを、オネーギンには厳しさを求めたかったのは欲目か。3幕にのみ出るグレーミン公爵を歌ったバスのパータ・ブルチュラーゼは、 並外れた声量は別として、全音域にわたる響きが素晴らしく、数年前に来日したボリショイ・オペラの重鎮ネステレンコを上回る迫力で、 1982年のチャイコフスキー・コンクール第一位の実力を見せてくれた。
一方、装置は、貴族の邸内、雪中の決闘、舞踏会などの舞台がややパターン化されていたのはやむを得ないが、豪華ですこぶる見映えがした。 第3幕2場のオネーギンとタチヤーナ再会の場面では、大きな窓 のある部屋を設定し、長い対話を暗示するように、途中で順次カーテンがおろされてゆく演出は、視覚的にも大変見事であった。また、 スポットライトが巧みに用いられ、全体に明るく見やすい舞台となっていた。 オーケストラも、チャイコフスキーのきれいな旋律を良く 表現していた。(00/11)

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2000.11.29:「青ひげ公の城」

「前衛音楽」に関心を持った40年以上前の学生時代、 バルトーク(写真)の器楽曲や弦楽四重奏曲も愛聴したが、彼の唯一のオペラである 「青ひげ」は実演では今回初めて観た。ストーリーは、「夫婦の間でもある程度の秘密があっても良い」という寓意が込められた大人の 童話程度に考えていたが、いろいろ難しく解釈する人もいるようである。本来童話であったものが、書き換えられ、結末も逆転している ので余り詮索しても仕方がない。しかし、曲は、哀愁のこもった不思議な魅力を持ったオペラである。歌手は、実質的に青ひげ公と新妻 のユディットの2人のみであり、欧米ではドイツ語や英語で歌われることも多いようだが、今回は、原語のハンガリー語で歌われた。 青ひげは、米国生まれのリチャード・コーワン、ユディットは、同じく米国生まれのクリスティン・チェジンスキーが歌った。コーワン は声も良く好演であった。チェジンスキーは、ビデオで観たジェシー・ノーマンやシルヴィア・シャシュと比べるとやや線が細かったが、 声の質は気性の強いユディットに合っていた。演出は、順次開けてゆく部屋が大部分地下室で、しかも扉が半開で中が見えないものもあり、 視覚的に物足りないものがあった。1989年のメット公演も大差のない演出であったので、一幕物オペラの限界かもしれないが、スクリーンを利用した り、もう少し工夫が出来なかったものだろうか。映画的に撮った市販のLDの素晴らしい映像との落差が大きすぎる。衣装は、青ひげ公が 中世風であるのに対し、ユディットが現代風に見え、違和感があった。また、「武器庫」の中味はぎっしり詰まった砲弾のみであり、 第五の扉「青ひげの領地」は宇宙から見た地球だったり、かなり奇を衒った演出であった。(00/12)

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2000.12.3:「夕鶴」

まだこけら落しから3年目にしか過ぎないが、新国立劇場の20世紀の 掉尾を飾る公演として、海外公演を含めて650回を越えるという「夕鶴」が選ばれた。ストーリーは、言うまでもなく日本の昔話を 下敷きにした木下順二の優れた戯曲「夕鶴」に基づいており、オペラ化に当たって団 伊玖磨は、巧みに童歌を取り入れるとともにいか にも日本的で耳障りの良いオペラに仕上げている。今公演では、つう:佐藤ひさら、与ひょう:星洋二の組み合わせの日に観たが、声、 容姿とも適役で、好演であった。運ずの工藤 博、惣どの三浦克次もまずまずの歌唱であったが、4階席で聴いたせいか発音がやや不明 瞭で、字幕があればと思う場面もあった。オペラは始めてという栗山民也の演出は、空を強調したものでそれなりの効果は認められたが、 与ひょうの家の柱の造りや鉄パイプのような庭の一本の木など舞台が殺風 景で、視覚的な楽しみが少なかったのは残念であった。(00/12)

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「鶴の折り紙」より


2000.12.26:「アブ・ハッサン / オペラの稽古」

今年3回目の「小劇場オペラ公演」である「アブ・ハッサン 」及び「オペラの稽古」を観た。いずれも短い曲なので「2本立て」で あった。本邦初演ではなかったようだが、大変珍しいオペラであり、見るのも聞くのも今回が始めてであった。「アブ・ハッサン」は、 音楽の友社刊「オペラのすべて'86」の中の「オペラ名曲250」にも選ばれていたので、かなり期待して出かけたが、結果は全く逆で 「オペラの稽古」の方がはるかに面白かった。なお、両曲ともアリアは字幕付きの原語(ドイツ語)、台詞は日本語の公演であった。
<アブ・ハッサン>

オペラ、特にオペラブッファのストーリーには、有名な曲でも「コシ・ファン・トゥッテ」や「ジャンニ・スキッキ」のように荒唐無稽 なものが多いが、「魔弾の射手」で有名なウェーバー(1786〜1826)が作曲した「アブ・ハッサン」は、別記のあらすじのよう にその極致であり、曲は悪くはないが、ストーリーには飛躍やこじつけが多く、腹立たしい程である。主人公のアブ・ハッサン同様、作曲 者自身もこの曲の作曲当時極貧状態にあったとのことであり、このためとはいえないが、シリアスなアリアには見るべきものがあった。 なお、このオペラは、主要な登場人物のうち半分近くが台詞のみというユニークな構成 となっている。 歌は、天与の美声を持つ羽山 晃生初め、まずまずであった。また、装置は、簡素なものであったが、一応アラビアの雰囲気は出ていた。
<オペラの稽古>
この曲は、作曲家としてのみならず指揮者、役者としても活躍した多彩な才能の持ち主のロルツィング(1801〜1851)の 作曲であるが、ストーリーも面白く、音楽の完成度も高い。装置は、やはり簡素なものであったが、鉢植えの植木や背景のスクリーン(空) がアクセントになり、まずまずであった。歌手では、次女ハンヒェンを歌った橋爪ゆか及び従僕ヨハンを歌った太田直樹が、歌、演技とも 大変良かった。又、合唱(小劇場オペラ合唱団)も質の高さを感じさせた。(00/12)

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2000.1.17:「イル・トロヴァトーレ」

今年は、ヴェルディ没後100周年と言うことで、例年以上に ヴェルディのオペラが多く上演される気運にあるが、国立劇場でも皮切りにトロヴァトーレが上演された。 複雑で陰湿なストーリーのオペラであるが、素晴らしいアリアや合唱が目白押しに並び、オペラの醍醐味 を味わうことが出来るヴェルディ屈指の名曲である。
17日は、主役の大半が外人の公演日であったが、総じて高い水準でヴェルディの名曲を十分に楽しむことが出来た。 中でもアズチェー ナを歌ったエリザベッタ・フィオリッロは、今年スカラでも同役を歌う予定とのことであるが、迫力のある低音が良く響き、他を圧して いた。レオノーラ役のフィオレンツァ・チェドリンスは、中・低音部の響きに硬さがみられたが、高音部は柔らかく良く伸び、特に弱声の コントロールが見事であった。マンリーコを歌ったアルゼンチン出身のダリオ・ボロンテ(テナー)及びルーナ伯爵を歌った堀内康雄 (バリトン)もなかなかの好演であった。
このオペラは、全体的に舞台が暗くなり勝ちであるが、今公演(特に群衆の出演場面)では赤っぽい壁面と床面をフルに使い、広い空間 を現出し、衣装は白を基調として比較的明るい場面が多かったのは救いであった。しかし、舞台に2度も現れた大木まで真っ白だったの はやり過ぎではなかろうか。また、アズチェーナを大砲に縛り付けて動かしたり、床下のバーナから火炎を実射したり、工夫の跡が見られ、 視覚的にも楽しい舞台であった。 ('01/01)

"Il Grande Trovatore"
by Giorgio de Chirico,1973


2001.1.20(昼):「春春春 / 虎月傳」

韓国の国立オペラ劇場が、我国のものより1〜2年早く開場したことやMETで活躍する韓国 出身のソプラノがいることは知っていたが、韓国からイタリアへのオペラ留学生数が日本からの数倍もいることや、昨年12月にはイタリ ア語の創作オペラ「英雄イ・スイシン」が韓国人中心でイタリアで初演され、大好評であったとの記事(2000.12.24:日経紙)には驚かされた。
たまたま、「貸し劇場公演」ではあるが、韓国オペラ「春春春」が、中劇場で上演されることを知り、期待を持って出かけた。 本公演は、韓国国立オペラ団・東京室内歌劇場の共催によるもので、「虎月傳」との2本立てであったが、「春春春」は韓国語で、 「虎月傳」は日本語で日韓の歌手が日替わりで歌った。なお、1/20のマチネー公演は、各々相手国の言葉で歌う日であった。

<春春春>:韓国の民話をオペラ化したもので、今公演が世界初演とのことであった。下記のあらすじのような罪のないストーリーが コミカルな演技で繰り広げられ、曲も木琴などのリズミカルな伴奏に乗って誠に軽快で親しみやすい。装置もドライアイスを水に見立てた 水車や桜林の背景がのんびりした田園風景を良くあらわしていた。歌手は、お爺オの松本進、スンイの李恩順が好演であった。 しかし、プロンプターの声が大き過ぎ、客席に大きく漏れ、かなり興が削がれた。

:「若い男(キルボ)が意地悪い地主(オ)の婿養子に行くが、結婚はさせてくれず、仕事だけをさせる 地主に苦情を言う。地主は、娘はまだ背が低いので結婚できないと断り続ける。最後にはキルボが飼牛の協力も得て地主をやりこめる。」

<虎月傳>:中国の怪奇譚を素材とした中島 敦の「山川記」をオペラ化したもので、芸術に魂を奪われ、己の才能をめぐる我執を 断ち切れず虎と化してしまった男の話である。能舞台のようなシンプルな舞台で対話風にストーリーが展開される。歌手は全て韓国人であったが、 ほぼ完璧な日本語(濁音がわずかに不自然)で歌った。中でも官人(役人)を歌った崔鐘禹(バリトン)の重厚で格調の高い響きが目立った。 伴奏は、ピアノとヴァイオリンを中心としたきわめて小人数のものであるが、必ずしも雰囲気にそぐわず、多少違和感を持った。 ('01/01)

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2001.1.27:「王国の一日」

「偽のポーランド王スタニスラオ」という副題が付いているが、通常「一日だけの王様」と呼ばれており、この方が、 ストーリーを良く表現しているように思える(プログラムの解説によると主催者側の誤訳とのこと)。ヴェルディの作曲した26曲に 及ぶオペラの内でたった2曲しかない喜劇の一つである(もう一つは、「ファルスタッフ」)。一応「オペラ名曲250選」には入って おり、CDも市販されているが、ポピュラーな曲ではない。今回、新人に出演の機会を与えることを目的の一つとしている 「東京オペラ・プロデュース」制作によるこのオペラの公演が、「貸し劇場公演」として中劇場で行われたので、「勉強」のために 出かけた。曲は、ロッシーニ風の軽快な序曲で始まり、重唱、合唱を重視したアンサンブル・オペラである。際立つたアリアこそ無いが、 喜劇といってもドタバタではなく、骨格のしっかりしたオペラとの印象を持った。歌手は、「新人」かどうかはともかく、はじめて 聴く人ばかりであったが、大半の歌手は可成り高い水準を保った演奏であった。殊にケルバール男爵を歌った田代和久(バリトン)が声、 歌唱力ともに抜群であった。騎士ベルフィオーレの杉野正隆(バリトン)、エドアルドの青地英幸(テノール)もなかなか迫力のあるの 美声であった。装置は、やや無機的ではあったが、中央の廻り舞台を巧く利用しており、悪くはなかった。しかし、背景が真っ暗で喜劇 の雰囲気を損なっているように思えた。('01/01)

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(2001.2.5-14:「リゴレット」)


2001.2.23:「カプレーティ家とモンテッキ家」

この公演は、国立劇場の正規のシーズン公演ではなく、付属の「オペラ研修所」の修了公演として 中劇場で行われたものである。一昨年に続き、幸い抽選に当たり、有料でも是非見たかったメロディー豊かなベルリーニの ベルカント・オペラの名曲を無料で見ることが出来たのは大変幸運であった。  このオペラのストーリーは、シェークスピアが題材としたイタリアの伝承説話を直接の材料とした別作品で、いわば元祖 「ロメオとジュリエット」であり、シェイクスピアの戯曲とは、結末の場面などが若干異なっている。具体的には、有名なシェークスピア の戯曲の場合、ラストシーンで「ロメオが毒を仰ぐ→ロメオ絶命→ジュリエッタ覚醒 →ロメオの死体を見てジュリエッタも後追い絶命」 という流れになるのであるが、このオペラでは、「ロメオが毒を仰ぐ→その瞬間にジュリエッタ覚醒→ロメオ絶命→ ジュリエッタも 後追い絶命」という流れになっており、両家の和解もなく幕が下りる。  今公演では、ロメオとジュリエッタを一昨年の研修所発表会の「秘密の結婚」でも好演し、まもなく研修所を巣立つ林美智子と山本美樹が歌ったが、 2人とも持ち前の美声を活かしてなかなかの好演であった。賛助出演の男性陣は、将来が期待される宮本益光、ビアプラザ「ライオン」 でお馴染みの松山いくお、美声テナーの経種廉彦の多彩な3人であった。装置や衣装は、無料公演なのでやむを得ないが、 簡素でやや物足りなかった。なお、この曲には、バルツァー、グルベローヴァのCD名盤があり愛聴しているが、やはりオペラは 映像を伴わないと楽しさ半減である。 ('01/02)

カプレーティ家(Verona)

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2001.4.4:「ラインの黄金」

別項(リング)にも書いたように、ワグナーのオペ ラの集大成とも言うべき名曲「ニーベルングの指輪(リング)」は、合計十数時間を要する4部から成る超大作であるため、 作曲者の意図に反して、一気に(一週間内で)演奏されることはまれである。ともかく、我が国でもやっと新国立劇場で一年一曲、 4年がかりのリング公演が発表されたことは、ご同慶の至りである。まず今シーズンは、第一部(或いは序夜)の「ラインの黄金」 が上演された。 リングの上演に当たっては、特にその演出が話題になることが多い。昨年観たMETのオーソドックスな演出に対し、ビデオで観た 宇宙船のような場面もある1989のバイエルン、レーザー光線を多用した1991年のバイロイト等における新しい演出が記憶に 新しい。今回のキース・ウォーナーによる演出は、幕開けのライン河の3人の乙女とリングの真の主役とも言われる悪役アルベリヒ とのやりとりが、河底の映画館で行われると言う奇抜な設定になっていたり、コミカルな動作や手品もあるサービス満点の演出 であった。また、アルベリヒが大蛇に変身する場面は、一瞬「魔笛」の出だしを想起させ、なかなか迫力があった。しかし、ビデオカ メラを振り回すフローと槍を持ったウォータンとが同席する不自然さ、神々の荘厳さの欠如も目に付いた。なお、フィナーレのワルハラ城 は、動かすことに重点を置いたためか、造りが余りにも安手で失望した。 一方、歌の方は殆どが初めて聴く外国人であったが、ドイツ人を中心に、米(ウォータンのアラン・タイトス)、日、韓(ファフナー のフィリップ・カン)の実績のある歌手を集めただけに、なかなか聞き応えがあり、全般的に高い水準にあった。日本人歌手も主要な 役を歌った小山由美(フリッカ)及び青戸 知(ドンナー)の2人が好演であった。なお、準・メルクルの指揮は、オーソドックスなも のであったが、バイロイトを意識したためか、オーケストラ・ピットを一番深い位置に設定していたようだ。(2001/4)

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2001.4.16:ファンジニー(黄眞伊)

1月に小劇場で観た韓国オペラ「春春春」がなかなか面白かったこともあり、今回も「貸劇場公演」としてオペラ劇場で行われたこの 公演に出かけた。今回の公演は、2002FIFA韓日ワールドカップ共同開催記念と謳われており、主催、協催には、韓国大使館、韓国 オペラ団、新国立劇場等が、また、後援には外務省、文化庁等が名を連ね、当日は、ロイヤルシートに天皇・皇后ご夫妻を迎えての 公演であった。 「ファンジニー(黄眞伊)」は、イ・ヨンジャ(李永朝)によって作曲され、1999年に初演された新作オペラであり、2000年の北京公演 に次いで、今回が2度目の外国公演である。このオペラは、16世紀の朝鮮王朝時代に、優れた詩作を残した実在の芸妓ファンジニー (黄眞伊)の一生をオペラ化したものである。戦争や殺人など激情的なものは無いが、東洋的諦観に貫かれた詩的なドラマである。 このオペラには、韓国独特の葬送風景、素朴な民族楽器演奏、原色鮮やかな衣服をまとった韓国舞踊等が織り込まれ、異国情緒も たっぷりあるが、近代西洋音楽の要素も多く取り入れられている。作曲者の言葉によると、「このオペラでは長いアリアの代わりに韓国 の伝統的な声楽の一つである時調(シジョ:韓国固有の定型詩)の唱(チャン:一人謡い)という手法が用いられている」。なお、オペラ の中で謡われる時調の歌詞は、いずれもファンジニーの自作とのことである。第二幕フィナーレのアリア「青山里の碧渓水」は、哀愁に 溢れた曲で耳に残った。 出演歌手は、プログラムを見る限り、国際コンクールでの上位入賞者をならべた錚々たるメンバーであったが、やはり主役のファンジニー を歌ったキム・ユソム(コンクール歴:マリオ・デル・モナコ・コンクール2年連続一位等)の透明で強く響く美声が光っていた。 演出は、手堅いものであったが、第一幕の出だし(葬送風景)及び第四幕のラストシーン(ファンジニーの昇天)は、大変雰囲気が良く 出ていた。 なお、今年は一月の「春春春」とともに韓国の新作オペラを2つも見る機会に恵まれたが、この際できれば昨年イタリアで初演し、好評であったという「イ・スイシン(李瞬臣)」 も是非観てみたいものだ。(2001/4)

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2001.4.19:「ねじの回転」

米国の代表的作家で後年英国に帰化したヘンリー・ジェイムス(1843-1916 )の 中編怪奇心理小説「ねじの回転」を英国の代表的作曲家ベンジャミン・ブリテン がオペラ化したものである。今回の公演に先立ち原作を読んでみたが、 翻訳者 の解説(新潮文庫)によると, H.ジェイムスは 、「最も難解で誤解されやすい 作家」とのことである。確かに作家の表現が曖昧であるため、評論家によって 様々に解釈されたのも当然であろう。私の場合は、感受性が鈍いためか、一向に 恐怖感もわかず「怪談」の文学的価値についての疑問さえ沸いてきた。なお、タ イトルの「ねじの回転」は、ねじが一つの方向にしか回らないように、大人間の 葛藤が、悲劇的な結末に向かってどんどん進んで行く様を表しているようであ る。 オペラ化に当たっては、原作では一言も発しない幽霊が歌いまくったり、幽霊同 士でやり合ったり、細部ではかなりの変更があるが、大筋は原作通りで、ストー リーはむしろ理解し易くなっている。音楽的には、各シーンを小編成のオーケス トラ(弦:5名、木管:4名、ホルン、パーカッション、ハープ、ピアノ・チェ レスタ、キーボード各1名)が変奏曲でつなぐ凝った形式のものである。さすが 「青少年のための管弦楽入門」の作曲者だけに、各楽器を巧く使い、聴き応えの ある曲となっている。なお、今回の公演は原語(英語)公演としては、国内初演 とのことであった。 今公演の前に「予習」として、広大な庭を持つ館を舞台に映画的に撮ったColin Davis指揮の素晴らしいビデオを観ていただけに、 今回の狭い小劇場での公演に一抹の不安を抱いて出かけた。しかし、結果的には、素晴らしい演出と緊迫した高 水準の演奏に十分満足することができた。平尾力哉の演出は、映像をフルに活用 したもので、広大な館の雰囲気を良く出していた。ある時は背面のスクリーンいっぱいの絵を写し、ある時は複雑な心理状況を抽象的な映像で見事に表現した。また 舞台背面の中段に横長の風景(ロンドン市街等)を写し、その前を馬車や人物を シルエット状に動かしたアイデアはユーモラスで秀抜であった。また、大スクリーンの前に設 けた紗のスクリーンを巧く活用して幽霊の出入り等をそれらしく表現することに も成功した。 一方、歌手は家政婦グロース夫人の響きが若干悪かったが、女家庭教師(遠藤久 美子)、2人の幽霊(クィント:小倉二郎、ジェッスル:井上ゆかり)、2人の 子供(マイルズ:杉田美紀、フロ−ラ:鵜木絵里)のいずれもが好演であった。 また、演技的にも皆好演でドラマが盛り上った。特にフローラの鵜木(オペラ・ サロン「トナカイ」でも活躍中)は大人が演じているとはとても思えないほどに あどけなく、可愛い振る舞いであった(’あやとり’も見事であった)。 ('01/4)

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(2001.5.13-20:「仮面舞踏会」)


(2001.6.7-13:「蝶々夫人」)


2001.7.8:「マノン」

昨年5月にやはり新国立劇場で上演されたマスネ(写真)の「ドンキショット」は、流麗な曲、優れた歌手及び演出に恵まれ、 強く印象に残る公演であった。今回の「マノン」は、マスネーの代表作であるだけに、音楽の美しさはまた格別で、 同じ原作によるプッチーニの「マノンレスコー」とは、ひと味違った優雅な雰囲気を味わうことができた。しかし、 期待が大きかっただけに、不満も少々残った公演であった。今回の公演は、欧米でもこの役を最も得意としており、また、 その評価も高い歌手が揃えられるとともに、1971年にウィーン国立歌劇場で新演出上演されたジャン=ピエール・ポネル (1932〜1988)の定評のある演出(装置・衣装もポネル)が採用された。なお、演出家が故人ということが少々理解し難かったが、 プログラムを見ると「演出補」の名(コルネリア・レプシュレーガー)がちゃんと出ていたので納得した。 まず、騎士デ・グリュー役のジュゼッペ・サッバティーニは, ミラノ・スカラ座を中心に活躍中であるが、本人の強い希望によりこの役で今年の 2月METデビューを飾り(やはりポネルの演出)、絶賛を博したばかりである。声は特に大きくはないが、 抑制の利いた美声で見事に役をこなし、さすがであった。マノン・レスコー役のレオンティーヌ・ヴァドゥヴァ(ルーマニア出身) もまたこの役を十八番とし、欧米の主要劇場で数多くマノンを歌っているとのことであったが、優れた歌唱力や演技力は別として、 高音部の声にやや潤いが乏しく、個人的な好みの問題かもしれないが、少々失望した。レスコー役のナターレ・デ・カロリスも、 昨年の「ドンジョヴァンニ」のタイトルロールの場合同様まずまずであったが、いま一つ迫力に欠けた。演出は、さすがマノン演出の 「スタンダード」といわれるだけに素晴らしかった。特に第四幕の2階層の賭博場の動と静、第五幕の海の見えるル・アーブル への路上の設定等は見事であった。強いて注文を付ければ第一幕では、もう少し装置に奥行きが欲しかったし、 第三幕2場の神学校に現れるマノンが真っ赤なドレスを着ていたのはいかにも不自然に感じた。なお、ポネル演出では、 第三幕1場で犬を連れた通行人が出ることになっているようだが、数年前のMET公演時に犬が歌手と一緒に「歌って」しまったため、 今年の2月公演では、出場を短くしたとの事だったので、今公演の演出を野次馬的に気にしていたが、カットされたのか、 犬には気付かずに終わってしまった。 一方、アラン・ギンガル指揮下のオーケストラ(東フィル)の響きは、なかなかきれいだった。('01/7)

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2001.7.27:「イル・カンピエッロ」

ヴォルフ=フェラーリ(1876−1948、イタリア)というと、何十年か前の「ラジオ時代」に、NHKのクラシック音楽番組の テーマ音楽として流されていた「聖母(マドンナ)の宝石」間奏曲を思い起こすだけであるが、20世紀初頭にあっては、オペラ作曲家 としてかなり人気があった人のようだ。今回「貸し劇場公演」として彼の代表作の一つである「イル・カンピエッロ(小広場)」が藤原 歌劇団によって中劇場で上演されたので貴重な機会だと思い出かけた。もっとも、今回が日本初演というわけではなく、同劇団としても 2回目(今回は原語公演)であった。ヴェネツィア方言主体で、歌手も大変だったようだが、見る方も、登場人物が多く、 込み入った筋を追うために舞台上部の字幕と見比べねばならず、なかなか忙しかった。無理な注文かもしれないが、 日本人の台詞の部分だけでも日本語になっておれば、もっと楽しめたような気がする。このオペラのストーリーは、元騎士と町娘との間に 生まれたガスパリーナが、紆余曲折の上、落ちぶれてはいるが騎士アストルフィとめでたく結ばれるという罪のないものであるが、 この間テノールが扮する2人の母親などが入り乱れて、歌い、喚き、取っ組み合いをするドタバタ騒ぎがあり、芝居としてもなかなか面白く、 大衆受けするアリアはないが、当時のイタリア等で人気作曲家となった事がうなずける。 歌手は、かなり粒ぞろいであったが、やはり町娘(ガスパリーナ)を歌った高橋薫子が声、歌唱力ともに一段と光っていた。 容姿も、一寸お澄ましの下町娘としてピッタリで、見る楽しみも充分に与えてくれた。五十嵐麻利江(ルシエータ)、 河野克典(アストルフィ)、五郎部俊明(ゾルゼート)等も好演であったが、外人の助っ人ではチンツィア・デ・モーラ(オルソラ) の迫力ある美声が印象に残った。粟国 淳の演出は、舞台正面の2階建の長屋(?)の灰色の壁面の一部が突然窓やベランダに変わり、 歌手が現れ、歌い終わると元に戻すといった巧みな仕掛けがしてあり、意外性もあり、楽しかったが、 やや殺風景な壁面の色には一工夫が欲しかった。('01/7)

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