(10) 2005/2006シーズン公演(最終更新日:2006.8.12)-------- (大部分の画像は、クリックすると大きくなります)

2005.9.16:「沈黙」
2005.9.17:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
2005.10.18:「セビリアの理髪師」
2005.10.21:「夢遊病の娘」
2005.10.30:「曽根崎心中/オベルト サン・ボニファーチョ伯爵」
2005.11.23:「アンドレア・シェニエ」
2005.12.17:「ヘンゼルとグレーテル」
2006.1.12:「セルセ」
2006.1.21:「魔笛」
2006.2.17:「愛怨」
2006.3.11:「プッチーニのパリ」
2006.3.18:「運命の力」
2006.4.5:「カヴァレリア・ルスチカーナ」/「道化師」
2006.4.20:「皇帝ティトの慈悲」
2006.5.6:「トスカ」
2006.6.20:「こうもり」
2006.8.10:「椿姫」


2005.9.16:「沈黙」

オペラ「沈黙」は、2000年3月に、新国立劇場と二期会共催の公演があったが、 今回の公演(中劇場)は、平成17年度新規事業「 新国立劇場地域招聘公演」 の一環として選ばれた大阪の「ザ・カレッジ・オペラハウス」の引越し公演である。 「沈黙」の作者の故遠藤周作は、TVのトーク番組出演時の軽口やホテルの囲碁クラブ見 かけた賑やかな姿からはちょっと想像し難いが、長年多くの作品でキリスト教、特に 日本的なキリスト教について描いてきた芥川賞作家である。 小説「沈黙」は、江戸時代初期のキリスト教弾圧時代の極限的な状況下における司祭 の「転び(棄教)」に理解を示した名作であるが、作曲家松村禎三が長年テーマを温 め、十分な周辺調査の上、自ら台本を手がけ、独自の解釈を加えて巧みにオペラ化 している。今公演の歌手は、大半が大阪中心で活躍する人達であるため、井原秀人 (Br)、桝貴志(Br)以外は初めて聴いたが、脇役に至るまで粒ぞろいで、このオペラ ハウスの水準の高さを実証した。井原は、2003年の1月の新国立劇場公演「光」 で主役ミツダを好演したのが、強く印象に残っているが、今回も宣教師フェレイラを重厚 に歌った。キチジロー役の桝は、やはり2003年3月の「新国立劇場オペラ研修所」の 研修公演(「フィガロの結婚」の伯爵)等でその実力は知っていたが、豊かな美声が 活かされ、好演であった。遠藤の原作には無いオハルを歌った石橋栄実(S)は、初めて聴いたが、 透明で良く響く美声と優れた歌唱力・演技力を持ち、大変素晴らしかった。このほかロドリゴ の小餅谷哲男(T)の熱演、井上筑後守の田中勉(Br)の迫力も印象に残った。 山下一史指揮のザ・カレジハウス管弦楽団は、ハープが中央に、ピアノとチェンバロが ピット外の両袖という珍しい配置であったが、なかなか力強く、好演であった。
一方、舞台は、中央の回り舞台に置かれた階段つきのシンプルな木製の台が、場面に応じて船、牢獄、 崖などに利用されたが、背景のスクリーンの映像(主として空)との組合せで数多い場面転換に うまく対応した。また、日本語の歌詞は聞き取りやすかったが、長崎の方言や宗教用語(パライゾ等) が多かったこともあり、字幕(日/英)が付けられたのは良かった。
なお、今年度から始まった「地域招聘公演」の趣旨は、大変結構であり、今後も継続して欲しいが、 今公演は中劇場での2回だけの公演でありながら空席が目立ったのは、残念であった。(2005.9.19記)


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2005.9.17:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

オール日本人キャストによる2002年夏の二期会創立50周年記念公演(於:東京文化会館)も素晴らしかったが、今公演 は、歌手として新国立劇場に歌手として「ファルスタッフ」、「コジ・ファン・トゥッテ」で好演したベルント・ ヴァイクルが演出を担当し、主要キャストの大部分は、経験豊かな欧米の歌手によって占められた。 すなわち、ハンス・ザックスは、ウィーン生まれのペーター・ウェーバー(Br)、ヴァルターは米国生まれのリチャード・ ブルナー(T)、ポーグナーは、新国出演3度目のドイツ出身のハンス・チャマー(Bs)、ベックメッサーもドイツ出身の マーティン・ガントナー(Br)、エーファは、やはりドイツ生まれのアニヤ・ハルテロス(S)が歌った。いづれも実力者 で好演であったが、1999年の「BBC - Cardiff Singer of the World」優勝という実績を持つ ハルテロスが、声も 容姿も若々しく際立っていた。ヴァルターのリチャード・ブルナーは、歌は良かったが、動作に若々しさがかけていたよ うに思われた。日本人では、主要な役の一つであるダーヴィットを吉田浩之(T)が歌った。第一幕では、 やや力み過ぎのようにも思えたが、なかなかの熱演であった。マグダレーネの小山由美(MS)も好演ではあったが、 むしろ3年前の二期会公演時の西川裕子の美声が強く印象に残っている。
一方、舞台は、ニュルンベルクの石造りの重厚な壁面を骨格としてうまく利用し、細部の移動に よって教会、ニュルンベルクの街、歌合戦の会場等の場面が巧みに構築された。多少変化に乏しい感もあったが、 視覚的にも楽しむことが出来た。また、3幕とも往時のニュルンベルク市街の遠景を描いた薄幕を上げて第1場に つなぎ、また、ハンス・ザックスの仕事部屋の場面では、壁にさりげなく実在のザックスの晩年の肖像画が 掛けられていたのが面白かった。 (2005.9.20記)


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2005.10.18:「セビリアの理髪師」

このオペラの主役であるロジーナは、これまでソプラノで聴くことが多かったが、 今公演では、原譜に近いメゾソプラノが歌った。また、指揮者(イール・カバレッ ティ)、演出家及び外人歌手は、全て新国初登場であった。アルマヴィーヴァ 伯爵を歌ったドイツ生まれのフェルナンド・ボートマー(T)は、欧米で活躍中の若手 リリック・テノールとのことであるが、透明でよく通る美声を持ち、声のコントロ ールも見事であった。フィガロを歌った米国生まれのダニエル・ベッチャー(Br) もやはり若手で甘く透明な美声の持主で好演であった。バルトロの柴山昌宣(Br) は、持ち前の豊かな美声と得意のイタリア語が活かされ、やはり好演であった。 バジリオを歌ったロシア出身のフェオドール・クズネッツオ(Bs)は、ひときわ豊 かな美声の持主で、迫力満点であった。機会があれば、ロシアオペラの役でも聴い てみたい。ロジーナを歌ったイスラエル出身のリトナ・シャハム(MS)は、容姿 、歌唱力ともなかなか良かったが、ビデオやTV放映で聴いた同じMSのベルガンサ やカサロヴァの名唱と比較するのは酷かもしれないが、中高音域の響が今一に感じ た。脇役ではあったが、ベルタを歌った与田朝子(MS)は、立派な声を響かせた。 一方、オーストリア出身のヨーゼフ・E.ケップリンガー演出による、回り舞台に 建物を乗せ、バルコニーの場、室内の場をすばやく入替える手法は、 前述のカサロヴァが歌った2001年のチューリッヒ歌劇場公演に酷似していたが、 室内構造、配置はさらに手が込んでいて、主舞台の1階と2階は複数のらせん 階段でつなぎ、登場人物の部屋間の移動を容易にしたため、喜劇の進行がいっそうスムーズ になった。また、乳母車を押した近所の婦人や子供達がタイミング良く登場し、 舞台に活気を与えた。
総体的には、高レベル演奏で、ロッシーニの名曲を充分に楽しむことが出来た。 なお、この公演では、時代を1960年代に設定したとのことで、部屋には大型TV が置かれ、バイクも登場した。しかし、台本が基本的に変っていないため、「伯爵」には異様 に権威があり、「(羽根)ペンを削る」などという台詞があったりで、数日前にみた 二期会公演(平尾力哉演出)「ジュリアス・シーザー」のハチャメチャな「現代化」 演出とは次元は異なるが、多少の違和感もあった。(2005.10.20記)


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2005.10.21:「夢遊病の娘」

50年近い歴史を持つ「昭和音楽大学オペラ公演」として、今年はベッリーニの「夢遊病の娘」 が上演された。中劇場での貸し劇場公演となったのも今年で6年目となる。昭和音楽大学(旧東京声専音楽学校)は、 往年の名バス・バリトン下八川共祐により設立され、一世を風靡した藤原歌劇団のプリマドンナ大谷洌子が 付属の昭和音楽芸術学院校長などとして深く関与し、現在の学長が日本オペラ界の 重鎮五十嵐喜芳ということからも、この大学がオペラ歌手養成に力を入れていることがよくわかる。 現在第一線で活躍している昭和音大出身の歌手は、今のところ多くない(三浦克次ほか)よう であるが、今後多数の一流歌手輩出が期待される。なお、余談ながら、近年、首都圏の音大の「序列」 が変動しつつあり、首位の芸大は不動であるが、桐朋、武蔵野等の名門音大が凋落気味である一方、 昭和音大、洗足学園音大が躍進中との巷間のうわさもある。
ところで今公演は(多分過去の公演も)、学生中心の「芸大オペラ」などとは異なり、 昭和音大の卒業生で藤原歌劇団の団員、準団員となっている歌手が中心になっていたので一定の水準が保たれては いるものの、声あるいは歌唱力に多少の不満が残る人が多かった。そのなかでテレーザを歌った吉田郁恵(MS) の母親らしい暖かい美声と見事な歌唱力が光っていた。
一方、演出:馬場紀雄、美術:川口直次による舞台は、大変見事であった。ことに、雪をいただいたアルプス と麓の牧草地を背景に控えた石造りの旅籠と水車小屋の場面(第一幕第一場及び第二幕 第二場)は、まるで絵葉書のように美しかった。同じ背景を使った 第二幕第一場(森の小道)の場面も同様に素晴らしかった。背景のアルプスが、夕日を浴びて 薄赤く染まったり、夜明けで徐々に明るくなる変化が、目を楽しませてくれた。(2005.10.22記)


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2005.10.30:「曽根崎心中」/「オベルト サン・ボニファーチョ伯爵」

東京室内歌劇場・スポレート実験歌劇場共同制作による二つのオペラが、 中劇場での「貸し劇場公演」として上演された。スポレート実験歌劇場については、 これまで名前位しか知らなかったが、公演プログラムによると、この歌劇場の年間 活動は、三期に分けられる。まず、3月に「若い音楽家のためのヨーロッパ声楽コ ンクール」を開催し、入賞者は4-8月にデビューのための準備講習 を受け、秋のオペラ・フェスティバル(実験歌劇場)でデビューする。なお、 このスポレート実験歌劇場からデビューした歌手には、エットーレ・バスティアニ ーニ、フランコ・コレルリ、アンナ・モッフォ、レナート・ブルゾン、 ジュセッペ・サッバティーニ、ルチア・アリベルティなどの超一流歌手がいる。

@「曽根崎心中」

入野義朗といえば前衛音楽の大家であり、昔何度か聴いているはずであるが、 晩年の彼の作品であるこのオペラには、今回初めて接した。いうまでも無く、 近松門左衛門の人形浄瑠璃大ヒット作である「曽根崎心中」は、元禄16年 (1703)大阪の曽根崎・露(つゆ)天神の森で現実に起こった心中事件に基づい たものであり、現在も露天神の境内にはブロンズ像(写真:フリー百科事典 「ウィキペディア」より)が建っている。オペラ「曽根崎心中」は、ほぼ 原作どおりの筋立てのようである。 このオペラの音楽は、入野の成熟を感じさせるもので、「語り」役の歌唱には、 浄瑠璃、講談にみられるような日本語の伝統的な語り口調が違和感なく取入れ られている。歌手は、4人だけであるが、今公演のキャストは、皆素晴らしく、 理想に近いものであった。「お初」を歌った田島茂代(S)は、初めて聴いたが、 よく通る美声を駆使して、情緒豊かな中に意志の強さを見事に表現し、好演であ った。「徳兵衛」を歌った平良栄一(T)は、実演では初めて接したが、CDで 聴いた25年ほど前の録音と変わらないやわらかい美声で、適役であった。 「九平次」役の鹿野由之(Bs)は、持前の強靭な低音で、迫力満点であった。 「語り」役は、ドラマの進行にとって重要な役をになっており、時にはファル セットを使う難しい歌唱力が要求されるが、太田直樹(Br)は、この役を大変 見事に歌い演じた。(余談ながら、筆者はここ1-2年の間に、一流の奏者による 琵琶の演奏を3回聴いたが、語りの部分の声の響に若干の不満が残った。 「平家物語」のような語り物の場合、琵琶奏者による語りの部分を今回の「語り」 のようにオペラ歌手に歌ってもらったら素晴らしいのではないかと、ふと思って しまった。)また、今村能指揮下の管弦楽は、尺八、三味線(太棹)、ヴァイ オリン、フルート、打楽器、ピアノという和洋の楽器各1名で構成されていたが 、優れた奏者を集め、素晴らしかった。 一方、舞台は、抽象化した座敷だけのきわめてシンプルなものであったが、心中 した直後、幸福感に満ちた2人を象徴するように、天井から金色の星を降らせる 演出(飯塚励生)はなかなか感動的であった。

A「オベルト サン・ボニファーチョ伯爵」
 
これ以前の曲は紛失(あるいはヴェルディ自身が消去)してしまったので、この 「オベルト」がヴェルディの事実上の第一作のオペラとされている。ミラノ音楽院 に入学さえ出来なかったヴェルディの第一作が、幸運にもスカラ座で初演され、 その成功で一躍脚光を浴び、さらに3つの新作オペラの依頼を受けることにもなった 出世作でもある。今公演は、日本初演とのことであったが、ビデオやDVDもみてい なかったので、全く初めてこの曲に接した。ダイナミックなオーケストラの響に乗 ったアリアや重唱は、まさにヴェルディのものであり、後年の諸傑作につながる芽が 感じられた。 アントニオ・ペトリス演出による舞台は、背面の大スクリーンの映像だけのすこぶる シンプルなものであったが、王宮内部等の映像に迫力があったこともあり、中途半端な 大道具を置くよりむしろ現実感があった。
一方、歌手には、多少の不満が残った。タイトルロールのオベルトを歌った大澤恒夫 (B)は、神奈川大工学部出身という異色の歌手ながら大変豊かな美声の持主であるが、 復讐に燃える父親としては、少々迫力不足に感じた。オベルトの娘レオノーラを歌った フランチェスカ・サッス(S)は、本年度のコンクール優勝者であり、歌唱力は十分で 高音部の輝きも素晴らしかったが、中低音部の声の透明感が十分とはいえなかった。 リッカルドを歌った行天祥晃(T)は、歌も動きもきびきびしておりなかなかの好演であった。 公女クニーザを歌ったヴェロニカ・シメオーニ(MS)もスポーレットの優勝者であるが、 声、歌唱力とも安定しており、やはり好演であった。(2005.11.2記)


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2005.11.23:「アンドレア・シェニエ」

ジョルダーノ(1867-1948)のオペラでは、数年前の欧州オペラ・ツアーの 際に「フェド−ラ」を観たが、彼の代表作である「アンドレア・シェニエ」は、 今回初めて実演に接した。ビデオでは、ドミンゴ、カップチルリ主演の名演も観ており、 第3幕の有名なバリトンのアリア「祖国の敵」は、声楽コンクール などでたびたび聴いていたので、大きな期待を持って出かけた。
今公演の演出・美術・照明は、一昨年秋の「ホフマン物語」で幻想的な素晴らしい舞台を 創ったフィリップ・アルローが担当したが、今回も抽象化された斬新な舞台で素晴らしかった。 回り舞台の上に組まれた白い壁面や間仕切りは全て、フランス革命時の不安定な世情を 表すように斜めに立てられ、可動式2分割の舞台前面の大スクリーンを含めて、 ギロチンの刃を連想させる形状が舞台に溢れた。衣装も白を基調と したもので統一されていた。シェニエとマッダレーナの2人が断頭台に向かう フィナーレも印象的であった。また、プロジェクターによる映像や照明も大変 効果的に活用された。
歌手では、当初予定のカルロス・アルヴァレスに替わりジェラールを歌ったロシア 出身のセルゲイ・レイフェルクス(Br)が声・歌唱力共に素晴らしかった。シェニエを歌った米国出身の 新進テノールのカール・タナーも美声を活かし、なかなか良かった。 マッダレーナは、昨年5月の「マクベス」でマクベス夫人を好演した ハンガリー出身の ゲオルギーナ・ルカーチ(S)が歌ったが、容姿、歌唱力は抜群ながら、欲を言えば声にもう少し丸みが欲しかった。 脇役陣は、 青戸 知(ルーシェ)、坂本 朱(ベルシ)等の 実力者の日本人歌手で固められており、 1-2の歌手を除いて、それぞれ好演であったが、老婆マデロンを歌った 竹本節子の豊かな美声が特に印象的であった。 一方、ミゲル・ゴメス=マルティネス指揮下の東フィルは、打楽器、金管楽器奏者が舞台に向かって ピットの右に、弦楽器を中央から左に配置されていたが、その意図と効果は不明 ながら、なかなかの好演であった。(2005.11.24)


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(2005.11..27-12.6:「ホフマン物語」)

2005.12.17:「ヘンゼルとグレーテル」

今公演は、「日独楽友協会」主催の中劇場での「貸し劇場公演」である。 フンパーディング作曲の「ヘンゼルとグレーテル」は、新国立劇場でもすでに2回 (1998.11/2004.1)観ているので、今回はパスしようかとも思ったが、 「お気に入り」歌手の1人である渡邉史が魔女役で出演することを知り、 やはり出かけることにした。今公演は、前2回と異なり、字幕付の原語上演 であったため、多少盛上がりに欠ける面もあったが、まずまずの楽しい公演 であった。 序曲が始まるとともに舞台前面のスクリーンに近代的なビルの映像が映 されたため、一瞬、また最近流行の「現代化演出」かと思ったが、幕が 上がると抽象化された舞台ではあったが、一応、メルヘンの世界が出現した。 森の木々に見立てた色とりどりの造形物が天井から吊るされ賑やかな舞台で はあったが、背景が真っ黒い幕だったので、やや物足りない感もあった。 菅尾友の演出は、第2幕ではミラーボールまで動員したり、歌手を客席の通路で歌わせたり、 工夫のあとも見られた。
一方、歌手は初めて聴く人が大半であったが、皆なかなかの熱演であった。 ヘンゼルを歌った高柳佳代(MS)は、「男っぽい」声と演技で好演であった。 グレーテルを歌った佐藤りな(S)は、よく通る美声ではあったが、やや 「子供らしさ」が不足気味に感じた。渡邉史(S)の魔女は、ド派手な衣装で登場し、驚かされ たが、声も容姿も存在感十分であった。 脇役では、ペ−ター役の村田芳高(Br)の迫力ある声、露の精役の゙亨美(S)の美声が 特に印象に残った。管弦楽は、秋山直樹指揮下のシンフォニッシェ・アカデミー。(2005.12.20 記)

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2006.1.12:「セルセ」(小劇場公演#15)

ヘンデルが作曲した42曲ものオペラのうち、個人的には、ビデオでは「ジュリアス・シーザー(英語版)」、 「ジュスティーノ」、「アリオダンテ」及び「アグリッピナ」を持っているが、実演では昨年の二期会 公演で「ジュリアス・シーザー」を観ただけである。 「セルセ」の第一幕で歌われる有名なアリア「オンブラマイフ(安らぎの木陰)」は、20年近く前, キャサリン・バトルが歌った洋酒のTVコマーシャルで一躍有名になったが、 オペラ「セルセ」そのものは、殆ど上演される機会も無く、「芸大オペラ(”ヘンデルのパスティッチョ”)」 でさわりの場面を見たことがあるだけで、市販のDVDも持っていないので、 今公演は初めて通して鑑賞する貴重な機会であった。ダブルキャストでの公演だったので、 昨秋、二期会の「ジュリアス・シーザー」で好演した山下牧子、文屋小百合の出演予定日を選んで出かけた。 劇場に入ると、各コーナーに鉄骨の柱が立てた四角い小さな舞台が客席の中央に置かれ、、 まるで体育館での相撲興行のような雰囲気であったのに、まず驚かされた。 この小劇場は、舞台と客席を いくつかのパターン に変えられることは、知っていたが、このパターンは初めだったので席探しに少々戸惑ってしまった。 三浦安浩の演出は、大胆過ぎるほどユニークで、舞台を「野外能楽堂での映画"セルセ"撮影現場」 と設定した。このため、本来の登場人物、撮影関係者、黒子的なダンサー達がそれぞれの時代に 合った衣装を着て入り乱れて登場したため、かなりドタバタ調の進行となった。 序曲が始まる前や幕間に舞台裏を「演じる」手法は、昨年3月の 「ザザ」でもみられたが、今公演では、幕間に合唱団が劇場 内を歌いながら練り歩いたりいっそう徹底していた。また、通路の利用のみならず、 歌手も2階の客席で歌った後、梯子で降りてきたり、劇場をフルに使った臨場 感抜群の公演ではあった。また、大筋に変更はないが、喜劇性を強調して 従者エルヴィーロは犬になり、王セルセの恋人が魔女に変身したりの 舞台展開の意外さ、激しさにはついて行けない面もあった。今回の演出は、 ある意味では大変面白く、確かに楽しめた。しかし、ポピュラーなオペラの場合には、 奇抜な演出も一興であるが、「セルセ」のような滅多に上演されないオペラは、 最初はやはりオーソドックスな演出で観たかったというのが本音である。
一方、歌手は、高野二郎(T、セルセ)、羽山晃生(T、アルサメーネ)、 山下牧子(MS、アマストレ)、山本真由美(S、ロミルダ)等の 適材適所の実力者が揃い、高水準の演奏であった。急病の文屋に代って出演した木下周子 (S、アタランタ)及び初めて聴いたエルヴィーロの小野和彦(Bs)の声の響も素晴らしかった。 (2005.1.14記)

T(原作) U(今公演)

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2006.1.21:「魔笛」

「魔笛」は、モーツアルト好きの筆者にとっては観た回数のトップ5に入るオペラで あるが、ミヒャエル・ハンペ演出の「魔笛」だけでも今回が4回目(新国:3回、アテネ:1回)であった。 「魔笛」は、広く親しまれているオペラではあるが、ストーリーには謎が多く、人種差別的でまた男女差別 的な台本を槍玉に挙げる人もいる。 ハンペ演出は正統的な取り組みで、新国立劇場の舞台機構も活用して巧みにメルヘンの世界を創出していた が、冒頭の大蛇は少々グロテスク過ぎたような気もした。今回の演出は、背面の映像の扱いを除いて、 美術、衣装を含め昨年12月のアテネ公演に酷似していた。 なお、アテネ公演では、ハンペ演出による「子供のための魔笛」が並行して上演されたようだが、どのように アレンジしたのか興味深深である。 一方、歌手では、まずパパゲーノを歌ったオーストリア出身のアントン・シャリンガー(Bs-Br)と ザラストロを歌ったドイツ出身のアルフレッド・ライター(Bs)のが艶のある豊かな声が特に素晴らしかった。 シャリンガーは演技もなかなか達者で、聴衆の笑いを誘った。タミーノは、アテネ公演の同役でも聴いたドイツ出身の ライナー・トロースト(T)が歌ったが、王子らしい風格もありやはり好演であった。日本人歌手では、 弁者の長谷川顕が重厚な声で存在感十分であったし、モノスタトスの高橋淳(T)も力強い歌唱で 適役であった。女声陣は、全て日本人歌手であった。パミーナの砂川涼子(S) は、第二幕のアリア「愛の幸せは永遠に消えて」では感情移入もたっぷりの名唱であったが、 個人的な好みからいえば、声自体にもう少し甘みのある人(例えば小林菜美)に歌って欲しかった。 佐藤美枝子(S)の夜の女王のは、実演では初めて聴いたが、小柄な身体をいっぱいに使ってなかなかの熱演であった。 3人の侍女(田中三佐代、加納悦子、渡辺敦子)及び3人の童子は声のバランスが良かった。 管弦楽は服部譲二指揮下の東京交響楽団。(2006.1.22記)

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2006.2.4 〜 2.11:「コジ・ファン・トゥッテ」

2006.2.17:「愛怨」

三木稔は、「春琴抄」、 「静と義経」、「じょうるり」等日本の歴史を題材 にしたオペラをこれまで7曲書いてきたが、この新国立劇場の委嘱による「愛怨」はその完結編 とのことであり、勿論今公演が世界初演である。台本は、最近、イタリアの「国際ニーノ賞」を受賞し、話題になった瀬戸内寂聴が 80代になってから書き下ろしたもので、遣唐使として唐に渡った青年と、生き別れとなった美しい双子姉妹の永遠に輝く愛と 運命に翻弄された苦悩(怨)の物語である。 作曲者自身が「オペラ創作史上最高のレヴェルで遂行された」と自負する瀬戸内と三木の共同作業によって書き上げられた台本は、 奈良時代の史実を巧みに取入れ、期待通り、ドラマとしても大変感動的なものとなっている。 三木の音楽は、5年前に観た「源氏物語」の場合同様、アリアや合唱が随所にはめ込む伝統的なグランド・オペラ形式 を採っており、親しみやすい。管弦楽はピットいっぱいの大編成で、迫力十分であった。さらにこのオペラでは、中国琵琶が中心テーマに なっており、ドラマのクライマックスでステージ上で名手シズカ楊静によって演奏された秘曲「愛怨」は、曲も演奏も素晴らしかった。 なお、中国琵琶は、バチを用いず5本の指につけた爪で演奏されるが、緩急自在で表現力豊かな楽器である。 歌手陣は、脇役にまで実力者を配し、声のバランスも良かった。主役の桜子/柳玲をうたった釜洞祐子(S)は、声はもとより容姿にも気品があり、 適役であった。大野浄人役の経種廉彦は日本語の発声もクリアで、やはり好演であった。そのほか玄照皇帝の星野淳、若草皇子の 黒田博及び孟権の柴山昌宣の3人のバリトンの声の響が特によかった。 恵川智美による演出は、細部では、「槐(エンジュ)の葉」と歌っている背景の映像が「カエデ」だったり、囲碁の試合で「五目並べ」 のように石を置いたり、多少気になるところもあったが、全体的には、見事な衣装の助けもあり、 奈良と長安の雰囲気が良く出ていた。特に、第2幕の唐の御殿の場では、ダンスや京劇俳優によるアクロバティックな演技もあり、 視覚的に大変楽しめた。 なお、プログラムへの台本の全文収録とともに、「三木稔:日本史オペラ8連作・その詳細と作曲者ノート」と言う小冊子が 添付されたのは、大変親切で、ありがたかった。見落としている残りの連作オペラも次の機会には是非観てみたい。(2006.2.18記)

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2006.3.11:「プッチーニのパリ」:

, 恒例の新国立劇場オペラ研修所の研修公演として、中劇場で「プッチーニのパリ」という題のもとにプッチーニがパリの自宅で作曲 した2つのオペラ「つばめ(第1幕)」及び「ラ・ボエーム(第1、4幕)」が上演された。 オペラ「つばめ」は、第1幕のアリア「ドレッタの夢」がコンクールなどでもよく歌われるだけで、 数年前の日本初演後、殆ど上演されることもなく、、ビデオやDVDも出ていない。このため今回、第1幕のみであったが、 実演に接することが出来たのは、ありがたかった。今公演は、2つのオペラの、しかも、抜き出した幕だけの上演であったが、 冒頭及び幕間に杖を突いた老境のプッチーニ(俳優のファビオ・サルトール)が、舞台に現れ、自身の現在の孤独感とパリへの あこがれを熱っぽく語り、ストーリーを繋げてくれたので、あまり違和感がなく「つぎはぎオペラ」を鑑賞することが出来た。 安価(\3,000)な研修公演であったためか、舞台は、簡素なものであったが、それなりにパリの雰囲気は感じられた。 しかし、「ボエーム」の三日月も見えるパリの夜景を描いた背景は面白かったが、部屋の真ん中にストーブがあるだけの 屋根裏部屋には、枠だけでもドアくらいは設置して欲しかった。 歌手は、恒例のごとく今回オペラ研修所を卒業する6期生が主役を歌い、脇役及び主役の1部を在籍の7、8期生 及び卒業生等(賛助出演)が歌った。「つばめ」でマグダを歌った6期生の吉田珠代(S)は、以前声楽コンクール でも聴いたことがあったが、なかなかの美声の持主であり、好演であった。今後の活躍にに期待したい。ランバルド 役の町英和(Br)も存在感十分であった。脇役で出番は少なかったが、7期生の河野知久(Br)、8期生の田島千愛(S)など も好演で今後に期待がもたれる。「ボエーム」でもミミを歌った吉田珠代が声、容姿ともピッタリで良かった。 ロドルフォを6期生の村上公太(T)が歌ったが、高音部の響きも良く、同研修所出身のピカイチのテノールとして 今後に期待したい。賛助出演の家主ベノア役の松本進(Br)及びショナール役の青山貴(Br、4期生) は別格に良かったが、マルチェッロ役の町英和及び初めて聴いたコッリーネ役の8期生の森雅史(Bs)もなかなか良かった。 管弦楽は、珍しく新日本フィル(指揮:ジェローム・カルタンバック)が担当した。(2006.3.12記)

(つばめ) (ボエーム)

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2006.3.18:「運命の力」

ヴェルディの全26曲中の第22作に当るこのオペラは、ダイナミックな序曲や第4幕の名アリア「神よ平和を 与え給え」は、単独に聴く機会が多いが、作曲者自身がラストシーンの暗さを軽減するために改訂したという 現在のストーリーも依然として陰惨極まりない復習劇であるためか、上演の機会は案外少なく、筆者も実演に 接するのは、今回が2度目であった。今公演は、演出には多少の不満も残ったが、実力派の歌手及び井上道義 指揮下の東京交響楽団の力演もあり、ヴェルディ独特の重厚で劇的オペラを堪能することができた。
レオノーラを歌ったウクライナ出身のアンナ・シャフジンスカヤ(S)は、主役級の歌手のなかでは唯一人新国立 劇場初登場であったが、立派なコンクール暦を持つドラマティック・ソプラノらしく、艶のある強靭な 高音が素晴らしかった。しかし、中音域の声の透明感が不足気味であったのは、少々残念であった。ドン・アルヴァーロ を歌った米国出身のロバート・ディーン・スミス(T)は、中音域の発声が多少質感に欠ける感じもしたが、 ワグナーものを得意としているヘルデン・テナーだけに、高音部の輝きは、さすがに迫力十分であった。 ドン・カルロを歌ったやはり米国出身のクリストファー・ロバートソン(Br)は、引締まった美声と高い歌唱力 を持ち、歌はひときわ素晴らしかったが、個人的には、巨躯・坊主頭の容貌が、青年(学生)役のイメージに 合わなかった。せめて帽子を被り続けるなどの演出上の工夫が欲しかった。脇役では、出番は少なかったが カラトラーヴァ侯爵を歌った妻屋秀和(Bs)威厳のある重厚な美声が光っていた。酒場の女プレツィオジッラ役 の坂本朱(MS)、グアルディーノ神父役のユルキ・コルホーネン(Bs)なども好演であった。
一方、演出(エミリオ・サージ)は、赤の紗幕を重用した第一幕の公爵の館の場面は、なかなか斬新で よかったが、その後の居酒屋や戦場の場面はやや散漫で物足りなく、第4幕の岩山の洞窟の場面は、極端に抽 象化された枠組が舞台中央に置かれただけであったが、もう一工夫できなかったものだろうか。また、装置の 移動もスムーズではなく、間延びした場面も見られた。(2006.3.20記)


2006.4.5:「カヴァレリア・ルスチカーナ」/「道化師」

今公演の「カヴァレリア・ルスティカーナ」/「道化師」は、昨シーズンの公演 (2004年9月)と同一演出(グリシャ・アサガロフ)であったので、当初は 見送ろうかと思っていたが、歌手が大幅に入れ替わり、特に2001年の「日本音楽 コンクール」以来、若手メゾソプラノでは、 最も期待し、芸大在学中のオペラやコンサート、ごく最近のミニ・ホールでの 「冬の旅」まで追っかけている山下牧子 をはじめ実力派の日本人歌手の出演も多かったので、出かけることとした。

<カヴァレリア・ルスティカーナ>
サントゥッツァを歌ったガブリエーレ・シュナウト(S)は、新国でもブリュンヒルデ を歌ったドラマティック・ソプラノであり、昨シーズン公演のエリザベッタ・ フィオリッロ同様、強い声を持っているが、他の出演者も皆豊かな声の持ち主 であったこともあり、全体的にバランスの良い声の競演となった。 シュナウトは、艶のある中音域が特に魅力的であった。トゥリッドゥは久しぶり の新国出演のアルベルト・クピード(T)が歌ったが、 重唱がわずかにずれる場面もあったが、持ち前の美声をきかせてくれた。 アルフィオの小林由樹(Br)は、声、容姿とも適役であった。 ローラを歌った山下牧子(MS)は、昨シーズンも1日だけローラを歌ったが、これを ききのがしたので、今回いつもの美声に接することができ、満足であった。 また、母親ルチア役の三輪陽子(MS)も、大変豊かな美声を持ち、 シュナウトとの掛け合いでもひけをとらなかったのは、立派であった。 装置は、右手に教会、舞台奥の2階に回廊を配した昨シーズンと同じものであったが、 石造りのイタリアの田舎町の雰囲気がよく出ていた。

<道化師>
やはり昨シーズン同様、主要構築物は「カヴァレリア」のものをうまく流用して舞台が 作られた。一方、歌手陣については、個人的な好みもあり、多少不満が残った。 カニオは、新国の「ジークフリート」及び「神々のたそがれ」でも好演した クリスティアン・フランツ(T)が歌ったが、強靭な美声を活かし、昨シーズンの ジュゼッペ・ジャコミーニの名唱に匹敵する素晴らしい歌唱であった。 大村博美(S)のネッダは、好演ではあったが、個人的には数年前に聴いた生野やよいの 熱唱が強く印象に残っている。 トニオ役の河野克典(Br)は、美声ながら多少迫力不足にも感じられた。 シルヴィオの星野淳(Br)及びペッペの樋口達哉(T)もまずまずの好演。 オケは、ファビオ・ルイージ指揮下の東フィル。(2006.4.7記)

(カヴァレリア・ルスティカーナ) (道化師)

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2006.4.20:「皇帝ティトの慈悲」

東京二期会とハンブルグ州立歌劇場共同制作によるモーツアルトの最後(22番目)の オペラ「皇帝ティトの慈悲」が「貸し劇場公演」として上演された。このオペラは、 上演の機会が少なく、筆者もビデオでは、何度か見ていたが、実演に接するのは、 昨年の「芸大オペラ」についで2度目である。 4回公演の初日に出かけたが、ユベール・スダーン指揮下の東響による序曲 の演奏が始まった直後に、「照明落ち/演奏中断」が2度くり返され、関係者 らしき男が舞台に飛び出し「照明、何やってんだ!」と怒鳴る。すは、大失態かと思って しまったが、これも演出(ペーター・コンヴィチュニー)の一部だったらしい のには驚かされた。このほか、第二幕のはじめには、主役のティトが、 客席の最前列に座ってしまったり、舞台上でティトが心臓交換手術をしたりという 奇抜な演出が続出した。また、登場人物は、ローマ帝国の衰退を象徴する かのように、皇帝以下全員がすすで汚れた衣装をつけており、化粧や所作は 過度にコミカルなものであった。「ブッファに化けたセリア」とでも いうべきであろうか。ストーリーがあまり面白くないこのオペラを楽しく見せる という点では、成功したが、皇帝レオポルト2世の戴冠式のために作曲された というオペラとしては、少々行過ぎた演出に思えた。近年、内外でこの種の 演出がはやっているようであるが、「年間最優秀演出家」に5回も選ばれたと 言うコンヴィチュニーも、カーテン・コールではかなりのブーイングをあびた。 舞台となる神殿は、右の絵(1799年、フランクフルト公演、装置下絵の一部) のような豪壮なものではなく、ミニサイズの部分的な宮殿を回り舞台に乗せた だけの簡素なものであったが、一応それらしく、特に違和感は無かった。
一方、歌手陣では、セストを歌った林美智子(MS)及びヴィテッリアを歌った林正子 (S)が特に良かった。若手メゾソプラノでは、山下牧子とともに最も大きな期待 を寄せている林美智子は、持ち前の美声と見事な歌唱力で名アリアを歌い上げた。 林正子は、他を圧する豊かで艶のある美声を心地よく響かせた。 ティトを歌った望月哲也(T)も、いつもの端正な歌唱を披露し、好演であった。 このほかアンニオ役は、オーディションで選ばれたというの長谷川忍(MS)、 セルヴィーリア役は幸田浩子(S)、プブリオ役は谷茂樹(Bs)が歌った。 なお、オールカラー、80ページの公演プログラムは、内容豊富で なかなか読み応えがあった。(2000.4.22記)

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2006.5.6:「トスカ」

今公演は、(財)日本オペラ振興会主催による藤原歌劇団の「貸し劇場公演」である。 市原多朗のカヴァラドッシも聴きたかったが、1999年の「マノン・レスコー」以来 ご無沙汰している下原千恵子を聴いてみたくなり、Bキャストの日を選んで出かけた。 日本人歌手のみによる公演であったが、歌手も良く、菊池彦典指揮下の東フィルも力演 し、舞台装置もきれいで、このプッチーニの名曲を十分に楽しむことができた。 下原千恵子(S)のトスカは、期待が大き過ぎたので、必ずしも満足の行く歌唱ではな かったが、高音の輝きは健在でなかなかの熱演であった。カヴァラドッシを歌った 中鉢聡(T)は、高音部がわずかに不安定となる場面もみられたが、持ち前の豊かな美声 がよく響き、好演であった。スカルピアを歌った牧野正人(Br)は、迫力満点の強靭な美声 と見事な歌唱力でひときわ光っていた。出番は余り多くないが、アンジェロッティを歌った 田島達也(Bs)もなかなかの好演であった。 ピエールフランチェスコ・マエストリーニの演出(演出補:粟国 淳)の演出は、 きわめて正統的なものであった。舞台も第1幕の教会のステンドグラスは、実物の ように見事であったし(美術:妹尾河童)、赤を基調とした手の込んだトスカの衣装 (衣装:岸井克己)も大変きれいで、目を楽しませてくれた。第2幕のスカルピアの 執務室、第3幕の聖アンジェロ城の屋上の場面も、細部まで行き届いた見事な装置であった。 (2006.5.8記)

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2006.6.20:「こうもり」

久しぶりの「こうもり」であったが、ブレンデル、レイフェルクス、ツィトコーワ、 水口聡、中嶋彰子などこれまでに新国立劇場で活躍した名歌手 が並んだ今公演には、大きな期待を持って出かけたが、期待通り高水準で楽しい 公演でこの名作を堪能することができた。 アイゼンシュタインを歌ったヴォルフガング・ブレンデル(Br)は、豊かな美声と コミカルな演技で存在感十分であったが、オルロフスキー公爵を歌ったエレナ・ ツィトコーワ(MS)も豊かな美声と見事な歌唱力で大喝采を受けた。 また、アデーレを 歌った中嶋彰子(S)も期待通りはまり役で、歌も演技も活き活きとして好演であった。 アルフレードを歌った水口聡(T)も、2年前の小劇場での「外套」の場合同様、 素晴らしい歌を聴かせてくれた。ロザリンデのナンシー・グスタフソン(S)は、 180cmの長身であるため、アルフレードよりはるかに高く、また、 主人ロザリンデの衣装を勝手に借りたアデーレは、「丈を詰める」 などという台詞の追加も必要となった。なお、グスタフソンの歌そのものは、 気品のある歌唱ながら特筆するほどのことはなかった。刑務所長フランクは、 セルゲイ・レイフェルクス(Br)が歌い、演じたが、重厚な声でやはり適役であった。 ファルケ博士を歌った、往年の名歌手オットー・エーデルマンを父に持つポール・ アルミン・エーデルマン(Br)は、端正な歌唱ではあったが、やや物足りない面もあった。 今公演は、新国立劇場にも3度出演している往年の名テノール歌手ツェドニクの 演出家としての世界デビューとのことであったが、新機軸もあり、なかなか面白かった。 第一幕は、通常、階段のある居間が舞台になるが、今公演では、屋敷裏の庭に 舞台が設定された。多少の違和感はあったが、明るく瀟洒で視覚的には楽しめた。 第二幕の夜会の場面は、当初平面的な舞台で始まり、途中から一気に奥舞台まで の豪華な大サロンに転換したのは、なかなか見事であった。5〜6人の男性 ダンサー(新国立劇場バレエ団)のダンスも見事であった。 第三幕も第二幕同様フィナーレの場面で奥行きを拡大し、背景に夜会のサロンが 現れたが、主舞台の刑務所長室が、余りに平面的で奥行きがなく、また、薄汚な過ぎた。 なお、公演は、勿論字幕付の原語(ドイツ語)で行われたが、オペレッタらしく適宜 日本的なもの(焼酎)や日本語の会話(アデーレ/イーダ間)も取入れ、楽しませて くれた。なお、演奏は、ヨハネス・ヴィルトナー指揮下の東フィル。(2006.6.22記)

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2006.8.10:「椿姫」
「ラ・ヴォーチェ」は、定期的に超一流の歌手を集めたオペラ名曲の公演を主催し、 同時にこれをDVDとして発売してきた。2003年公演の「ノルマ」公演は、NHKで ハイヴィジョン放映もされたので、勿論これは録画して貴重なコレクションに加えた。 今回は、中劇場での貸し劇場公演として「椿姫」が上演された。指揮:ブルーノ・カンパネッラ、演出: アントネッロ・マダウ・ディアツというベルカント・オペラの大家、歌手には、 デヴィーア、ブルゾン等の超一流歌手を揃えた今公演は、さすがにDVD 化 を前提としているだけに、高レベルで正統的な見事な演奏及び演出であった。 ヴィオレッタを歌った マリエッラ・デヴィア(S)は、3年ほど前に東京文化会館で「イタリアのトルコ人」 を聴き、その美声と歌唱力に驚いたが、60歳近くになった今公演でも多用した弱声の コントロールが見事であった。 ジェルモンを歌ったレナート・ブルゾン(Br)は、確か今年70歳になるはずであるが、 甘い美声も声量も健在であった。久しぶりに素晴らしい「プロヴァンスの海と陸」を聴いた。 アルフレードを歌ったジュゼッペ・フィリアノーティ(T)は、初めて聴いたが、伸び のある明るい美声とデヴィーアに引けを取らない見事な歌唱力に驚かされた。ネット上 で検索したところ、まだ31歳の新人で、昨秋の「ルチア」でのメト・デビューも大変 好評であったようだ。1999年の「プラシド・ドミンゴ・コンクール」でも2位に入賞 している。今後の活躍を期待したい。 フローラは、3年前の「ノルマ」でアダルジーザ役を見事に歌い演じたニディア・ パラシオス(MS)が歌ったが、聴かせどころの少ないこの役では、歌よりは、その美貌と 素晴らしい衣装が目を引いた。 樋口達也(ガストン子爵)その他の日本人脇役陣もまずまずの好演であった。また、 第2幕第2場フローラの館でのドロテ・ジルベール及びアレッシオ・カルボーネによる バレエも見事であった。 一方、各場面の装置は、正統的で美しく、目を楽しませてくれた。特に第2幕第1場の パリ郊外の別荘の場面は、いかにもそれらしい雰囲気がかもし出されていた。(2006.8.12記)

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