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(19) 2014/2015シーズン公演(最終更新日:2015.7.26)-------- (大部分の画像は、クリックすると大きくなります)

2014.9.11 :「イドメネオ」
2014.10.2 :「パルジファル」
2014.10.23:「ドン・ジョヴァンニ」
2014.10.25:「戯れ言の饗宴」
2014.10.29:「コシ・ファン・トゥッテ」
2014.11.30:「ドン・カルロ」
2015.1.17 :「さまよえるオランダ人」
2015.2.4 :「こうもり」
2015.2.7 :「シンデレラ」
2015.2.20 :「結婚手形」/「なりゆき泥棒」
2015.3.18 :「マノン・レスコー」
2015.3.28 :「袈裟と盛遠」
2015.5.13 :「椿姫」
2015.6.3 :「ばらの騎士」
2015.6.28 :「沈黙」
2015.7.12 :「復活」
2015.7.18 :「ドン・パスクワーレ」/「こうもり」
2015.7.25 :「いのち」


《過去のシーズン公演》:  1999/2000 * 2000/2001 * 2001/2002 * 2002/2003 * 2003/2004 * 2004/2005 * 2005/2006 * 2006/2007 * 2007/2008 * 2008/2009 * 2009/2010 * 2010/2011 * 2011/2012 * 2012/2013 * 2013/2014

2014.9.12:「イドメネオ」

アン・デア・ウィーン劇場と東京二期会の共同制作による モーツアルトの「イドメネオ」がオペラパレスで上演された。 ダブルキャストであるが、「お気に入り」の山下牧子、大隅智佳子が出演するAキャストの日を迷わず選んだ。 演出のダミアーノ・ミキエレットについては、時代と場所を原作の18世紀のナポリから現代のキャンプ場に設定変更して成功した3年前の「コジ・ファン・トゥッテ」 の斬新な演出が記憶にあるだけに期待していたが、今回の現代化演出には残念ながら裏切られた。彼の演出の意図が読み取れない訳ではないが、とにかく舞台や衣装が汚く、視覚的には楽しめ なかった。第一幕では靴が撒き散らされた荒地に背広姿で現れるイダマンテが服を脱ぎ下着姿になって動き回ったり、第三幕の終盤ではイリアが突然舞台前面で出産 したりの奇想天外な展開には、違和感を拭う暇もなかった。なお、この新演出公演はyoutubeで全曲を見ることができる。
一方、歌手は中心の3人が素晴らしかった。イドメネオを歌った与儀巧(T)は、コンクール(第6回 東京音楽コンクール優勝他)等を別にして、 オペラの舞台で聴くのは初めてであったが、持ち前の美声が活かされなかなか立派であった。イダマンテ役の山下牧子(Ms)は、これまで主役を歌った 「カルメン」、「コジ・ファン・トゥッテ」、「ジュリアス・シーザー」同様の名唱であった。新国立劇場でも脇役として活躍しているが、久振りに 美声を堪能させてもらった。エレットラ役の大隅智佳子(S)も芸大生の頃から際立って素晴らしい歌を聴かせてくれたが、 伸び伸びとした豊かな美声は国内では当代一のソプラノといっても過言ではない。一昨年の「メデア」の超絶的な歌唱は凄かった。 やはり主役の一角であるイリヤを歌った新垣有希子(S)は、天与の美声を持った3人と比較するのは、少々気の毒であるが、声、特に中低音の響きが今一であった。 管弦楽は、準・メルクル指揮下の東京交響楽団。(2014.9.14 記)


2014.10.2:「パルジファル」

2014/2015シーズンの開幕公演として、新国立劇場初登場のワグナーの最後のオペラ(舞台神聖祝祭劇) 「 パルジファル」が上演された。 ワグナーのこの作品は、演奏時間が長く上演の機会も少ないので、実演に接するのは、今回で2回目であった。 今公演の出演者は、2002年の東京文化会館での公演(出演:ポール・エルミング、 クルト・モル等)及び昨年METライブで観た公演(出演:J.カウフマン、R.パーペ等)に匹敵する実力者を集めており、 なかなか素晴らしかったが、演出に関しては、今公演の方が、断然面白かった。 主要出演者は、「ジークフリート」とうを好演したパルジファル役の クリスティアン・フランツとティトゥレル役の長谷川顯以外のアムフォルタス役のエギルス・シリンス、 グルネマンツ役のジョン・トムリンソン、 クリングゾル役のロバート・ボーク及び クンドリー役のエヴェリン・ヘルリツィウスは、新国立劇場初登場であったが、みな好演であった。 特にトムリンソンの存在感は絶大であった。また、ヘルリツィウスの声は、響きがやや暗いががこの役にはむしろ 合っていたとも言える。
一方、ハリー・クプファーの全てを抽象化した斬新な演出には、目を見張らされた。まず、幕が上がると奥舞台から オーケストラピットの間際まで伸びた稲妻形の「光の道」に、奥から丁度水が流れるように光が流れ、目を引いた。 3幕を通して舞台の骨格となったこの「光の道」は、部分的には可動であるとともに七色に変化し、舞台に大きな変化 をもたらした。さらに、途中で下ろされた高速道路のジャンクションを俯瞰したような模様を貼り付けた紗幕や 中空を自在に動く真っ赤な矢型の橋と複合した舞台は、極めて幻想的であった。さながら一福の抽象画の傑作を見ている 感があった。人物を光の道に伏せた状態で登場させたのも効果的であった。
しかし、キリスト教の「共苦により知にいたる」は仏教の「悟り」と同義であり、今公演の演出にも仏教的要素を取り 込んだというクプファーの意図は、宗教に関心がない筆者には残念ながら感じ取ることができなかった。 管弦楽は、ワグナーものを得意とする飯守泰次郎指揮下の東京フィルハーモニー交響楽団。(2014.10.3 記)


2014.10.22:「ドン・ジョヴァンニ」

今回の「ドン・ジョヴァンニ」は、1997年の開場以来、新国立劇場で5回目の公演であり、その人気の高さを示しているが、 自分自身これら5公演すべてを観ているいることに驚いた。殊にG.アサガロフの演出による公演は3度目であったが、歌手も良く、 新鮮な気持ちで楽しむことができた。
場所を原作のスペインではなくヴェネチアに設定した第1幕冒頭の運河沿いの騎士長邸の場面は、大変リアルで美しかった。 また、「カタログの歌」の場面では、背後に巨大な操り人形が現れたり、村祭り等の場面では石柱がチェス駒形になっていたりして 聴衆の目を楽しませてくれた。しかし、フィナーレだけはもう一工夫ほしかったという印象も変わらなかった。
一方、歌手陣は、粒ぞろいの実力者であるとともに、美男美女を揃え、十分に満足できるキャスティングであった。 タイトルロールのアドリアン・エレートは3年前の「コジ」のグリエルモ役でも 好演したが、声も良く役にふさわしいなかなかの色男であった。レポレッロ役のマルコ・ヴィンコ は初めて聴いたが、重厚な美声を持ちやはり好演。ドンナ・アンナ役のカルメラ・レミージョ も初めて聞いたが、声もよく知的な美女であった。エルヴィーラ役のアガ・ミコライは、これまでにも新国で同役及びドンナ・アンナ役で聴いた際には、 余り好印象が持てなかったが、今回は声に多少の硬さがあるものの声量も豊かで、なかなかの好演であった。ドン・オッターヴィオ役の パオロ・ファナーレも初めて聴いたが、やわらかく大変魅力的な声で素晴らしかった。 騎士長は今回も妻屋秀和が歌ったが、重厚で豊かな美声でやはり圧倒的な存在感を示した。彼の騎士長役は、体格的にもはまり役ではあるが、 1度レポレッロ役でも聴いてみたい。マゼット役の町英和、ツェルリーナ役の鷲尾麻衣もまずまずの好演であった。
なお、2年前の公演では、レポレッロを平野 和が歌ったが、今回は主役級の歌手の5人がカタカナ名であったのが少々残念である。 主役級のキャストに実力のある日本人を1〜2名入れてくれると、楽しみがまた一つ増えることになるのではなかろうか。 管弦楽は、飯森泰次郎指揮下の東京フィルハーモニー交響楽団。(2014.10.23 記)


2014.10.25:「戯れ言の饗宴」

中劇場で U.ジョルダーノ作曲の「戯れ言の饗宴」が日本初演された。主催者の「東京オペラ・プロデュース」は、毎年2回、 上演の機会に恵まれない傑作オペラを発掘し、定期公演に取上げている、オペラファンにとってはありがたい存在である。今回の「戯れ言の饗宴」も世界的にも稀にしか上演されず、勿論 日本初演のオペラである。
このオペラは、題名にはブッファ的な響きがあるが、恋敵を騙して復讐するという陰惨な結末の戯曲をオペラ化した ものであり、歌も全般的に重苦しく、再演はあまり期待できない気がするので、実演に接する貴重な機会ではあった。 歌手は、恋敵の2人のテノール(ネーリ役の羽山晃生、ジャンネット役の松村秀行)が強靭な美声を駆使して好演であった。松村は、2005年の日伊声楽コンコルソでは確か バリトンとして入選したが、その後テノールに転向したことは知らなかった。ジネーヴラ役の福田玲子(S)は、2008年の「妖精」のアーダ役で聴いた際にも感じたが、 声量豊かで声もよく出るが、響がやや金属的というか独特のものであり、個人的には少々苦手なタイプである。逆に、チンツィアを歌った菅原みずほ(Ms)は出番も少なかったが、 そのまろやかな美声は大いに気に入った。 一方、馬場紀雄の演出による舞台は、中央奥に立てられた女人像を思わせる抽象的な巨大な塔以外には、部屋のドア部があるだけの極めて簡素なものではあったが、 照明や衣装の助けもあり、ドラマの進行の支障にはならなかった。
管弦楽は、時任康文指揮下の東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団。(2014.10.25 記)


2014.10.29:「コジ・ファン・トゥッテ」

> 東京藝術大学が毎年学内で公演するいわゆる「藝大オペラ」は、なかなか人気があって、チケットは すぐ売切れてしまうようだが、筆者は幸い「藝大フレンズ」の会員 になっているおかげで、ここ数年は本公演あるいはゲネプロを無料招待で鑑賞することができたが、今年は残念ながら 抽選に外れてしまった。幸い、数年前からオペラパレスでの公演も加わったので、今年はここで観ることにした。 なお、料金が新国立劇場の通常公演の20〜30%なので今回はいつものC席ではなく、S席で観ることにした。
なお、学内公演のダブルキャスト全員を出場させるため、ドン・アルフォンゾを除いて、第1幕と第2幕でキャストを そっくり入れかえる変則的なものであった。
出演者は、総体的に第2幕組の方が、良かったが、第1幕組の中では、賛助出演で 別格の実力者萩原潤(ドン・アルフォンゾ役)を除けば、デスピーナを歌った松原みなみが抜群に素晴らしかった。 第2幕組の中では、フィオルディージを歌った中江早希が、超と完璧な歌唱力で一際光っていたが、ドラベッラ役の 平山莉奈、グリエルモ役の白石陽大、フェランド役の村本恒徳、デスピーナ役の中野亜維里も立派な声を持ち、好演であった。
一方、舞台を狭い藝大奏楽堂から広いオペラパレスに移すことに多少の懸念を持ったが、骨格となる手動の回り舞台上の 構築物の裏表を巧みに使い回した粟國 淳の演出は、大変素晴らしく、人物の動きも新鮮で、楽しませてもらった。
管弦楽は高関健指揮下の藝大フィルハーモニア。<2014.10.30 記>


2014.11.30:「ドン・カルロ

今公演は2006年公演の再演であり、また、9月に東京芸術劇場で演奏会形式ながらフランス語版全5幕の「ドン・カルロス」 の実演に接したばかりであったが、「お気に入り」の日本人歌手(妻屋秀和、村上敏明、山下牧子、鵜木絵里)にも関心が あったので、出かけた。今公演は、 ヴェルディ自身の改訂による最も一般的な「ミラノ4幕版」であった。
マルコ・アルトゥーロ・マレッリ演出・美術による舞台は、小道具をほとんど使わず、 出演歌手は、新国立劇場初登場の歌手が多かったが、総体的には脇役を含めてほぼ満足できル水準であった。 ドン・カルロを歌ったセルジオ・エスコバルは、些細な一瞬の破綻 もあったが、特大の声量の持ち主で、朗々とした美声は心地良く天井桟敷にまで響き渡った。ロドリーゴ役のマルクス・ヴェルバ は、エスコバルに多少押され気味であったが、歌の上手さは抜群であった。 フィリッポ二世役のラファウ・シヴェクも声が大きく、存在感抜群であったが、 妻屋と比べると声が少々荒れ気味にきこえた。妻屋秀和の宗教裁判長を聴くのは3度目であったが、相変わらず完璧な歌唱であった。しかし、今回も 一度フィリッポ二世役で聴いてみたいと思った。また、今回は脇役出演の実力者 村上敏明 (レルマ伯爵/王室の布告者)及び山下牧子(テバルド)は、それぞれドン・カルロ及びエボリ公女役で聴きたかった。一方、エリザベッタを歌った セレーナ・ファルノッキアは気品のある豊麗な美声の持ち主であり、適役であり、好演であった。 エボリ公女役のソニア・ガナッシも容姿も含めて適役で好演であった。
管弦楽は、ピエトロ・リッツォ指揮下の東京フィルハーモニー交響楽団。(2014.12.1 記)


2018.1.18:「さまよえるオランダ人(演奏会形式)」

ワグナーの「 さまよえるオランダ人」は、今シ−ズンの本公演に取り上げられているが、これは2007年及び2012年公演の再々演 なので今回はパスすることにして、演奏会形式ながら本公演でカヴァーを務める錚々たる邦人歌手陣が大変魅力的だったのでこちらを 聴くことにした。伴奏は、ピアノのみで、合唱部分もカットされたシンプルなものであったが、”演技付き”だったので結構ドラマ性 は高かった。また、字幕は背面の大スクリーンに映されたので大変見やすかった。 ピアノ伴奏の木下志寿子は、2時間以上に亘る大曲を1人で見事に弾ききったが、オーケストラの雰囲気を出すためには、むしろピアノより エレクトーン伴奏の方が合っているような気もした。 歌手陣は本公演で歌ってもらいたいような実力者ぞろいであった。お目当てのオランダ人を歌った小森輝彦(Br)は、 日本人として初めてドイツ宮廷歌手の称号を贈られたが、その実力を十分に発揮して好演であった。ダーラント役の長谷川顕(Bs)も、重厚な声を生かして存在感十分の好演であった。 ゼンタ役の橋爪ゆか(S)は十数年前の「2人のフォスカリ」の名演以来何度か聴いているが、その強靭な美声は健在で、迫力満点であった。 第3幕での3重唱は正に声の饗宴であった。当初予定されていた経種廉彦の急逝により出演することとなったエリック役の片寄純也(T)も体躯同様の立派な声で あった。マリー役の山下牧子(Ms)、舵手役の土崎譲(T)はいずれも出番が少なかったが、的確な歌唱で脇を固めた。 なお、キャストにカタカナ名が3〜4名入っていないと集客力が落ちる(故若杉芸術監督談)とのことであるが、新国立劇場もそろそろ実力のある 日本人歌手を本公演にもう少し多用してほしい。出来ないのであれば、今回のようなカヴァー歌手による演奏会形式の公演を、全演目に適用してほしい。 指揮は、城谷正博。(2015.1.17 記)


2015.2.4:「こうもり」

新国立劇場での「こうもり」は、1997年の柿落し以来今回で5回目の公演であるが、今回を含め、そのうちの4回が このオペラで、しかもこのオペラパレスでオペラ演出家としてのデビューした往年の名テノール歌手ハインツ・ ツェドニクの演出によっている。第一幕は、薄く彩色したペン画を切り抜いて張り付けたような、やや平面的な舞台 装置 であったが、淡い色合いで統一され、アール・デコ風という演出家の意図も良く表現されていた。第二幕の夜会の場面は、 当初平面的な舞台で始まり、途中から一気に奥舞台までの豪華な大サロンに転換したのは、見ごたえがあった。 しかし、第三幕のフィナーレでこの夜会のサロンを再現させたのは面白い発想ではある一方、第三幕の主舞台である 刑務所長室が、余りにも奥行きのない平板なものになってしまったのは残念であった。なお、オペレッタらしく台詞に適宜日本語 を取入れ、楽しませてくれた。
一方、今公演の出演者として海外から招いた6人の内の5人は新国立劇場初登場であり、 また、5人はオーストリア出身であったが、いずれも欧米で相当の実績がある人達のようで、高水準の歌唱を披露してくれた。 特に女声の3人がよかった。ロザリンデを歌ったアレクサンドラ・ラインプレヒト(S)は、 深みのある豊かな美声を持ち、適役であった。アデーレ役の ジェニファー・オローリン(S)は、2013年の”Paris Opera Awards” 2位入賞とのことであるが、大変魅力的な声を持ち、演技もうまかく、好演であった。オルロフスキー役の マヌエラ・レオンハルツベルガー(Ms>は、ズボン役らしく声 も背丈も立派であった。アイゼンシュタイン役のアドリアン・エレート、 フランク役のホルスト・ラムネク及びファルケ役のクレメンス・ザンダー の3人のバリトンは、母国語での歌唱でもあり、皆好演であった。日本人歌手も3人出演したが、3度目のブリント役の大久保光哉(Br)、 遠目には日本人には見えなかったイーダ役の鷲尾麻衣(S)も無難に役をこなした。アルフレードを歌った村上公太(T)は、オペラ研修所 時代を除いて実演に接する機会が殆どなかったが、今公演で予想以上に素晴らしい歌を聴かせてくれた。管弦楽は、アルフレード・エシュヴェ 指揮下の東京交響楽団。(2015.2.5 記)


2015.2.7:「シンデレラ」

ヴォルフ=フェラーリ作曲の「シンデレラ(La cenerentola)」が東京オペラプロデュースの主催で中劇場で上演された。 海外旅行のパンフレットに「ボエーム」鑑賞とあったので期待して出かけたところ、プッチーニではなくレオンカヴァッロ作曲の 同名のオペラだったので、苦情申立てをしたという話を友人から聞いたことがあるが、今公演の「シンデレラ」も有名なロッシーニ の「シンデレラ(チェネレントラ)」ではなく ヴォルフ=フェラーリ作曲のものである。勿論、日本初演である。 ヴォルフ=フェラーリは、「マドンナの宝石」の間奏曲で有名であるが、オペラも15曲ほど作曲しており、新国立劇場でも「イル・カンピエッロ(2001.7.27)」 及び「スザンナの秘密(2011.7.23)」が上演されている。 「シンデレラ」のストーリーの大筋は、一般に知れれている通りであるが、第一幕で妖精が現れ、魔法を使ってシンデレラをお姫様に仕上げるとか、 第三幕の宮殿での靴合わせが長々と続くなどロッシーニ版とはかなり異なっている。音楽的には、目立ったアリアもなく、総体的に平板な印象を受けた。 今公演の上演に際しては、楽譜の収集等で関係者が大変苦労したことがプログラムに書かれているが、オペラ・ファンにとっては、珍しいオペラを観る貴重な機会であった。 大田麻衣子による演出は、予算上の制約のためか、宮殿の豪華さは十分には現せなかったが、雲を吊るしたり苦心の跡は見られた。 歌手陣では、主題役のシンデレラを歌った鈴木慶江(S)は、歌もよかったが可憐な容姿は正に適役であった。 ピッツィキーナ(工藤 志州)及びヴァネレッラ(前坂 美希)姉妹もよく声が出ていた。一方、男声陣は皆良かった。パッリド王子をうたった三村卓也(T) は、10年振りにに聴いたが、なかなかの好演であった。王役の岸本力(Bs)、宮廷道化師役の羽山晃生(Br)、広報官役の和田ひでき(Br)も持ち前の豊かな美声を響かせた。 なお、羽山がバリトンに‘転向’したのは初めて知った。
管弦楽は、飯坂 純 指揮下の東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団。(2015.2.8 記)


2015.2.20:「結婚手形」/「なりゆき泥棒」

定例の新国立劇場オペラ研修所公演で「なりゆき泥棒」及び「結婚手形」を観た。 今公演のキャストは、オペラ研修所の15期生及び16期生が中心であったが、演奏のレベルは高く、ローッシーニの軽妙な オペラを十分に楽しむことができた。

「結婚手形」
ロッシーニの初期のこのオペラは、今回初めて観たが、「セビリアの理髪師」等の後期の名作にみられる独特の軽妙な音楽 の芽は、すでに現れており、結構楽しめた。
賛助出演の山田大智(Br)を加えた出演者は、皆熱演であったが、スルック役の小林啓倫(Br)の強靭な美声及びクラリーナ役の 藤井麻美(Ms)の豊麗な美声が特に印象に残った。

「なりゆき泥棒」
12〜13年前に、新国立劇場の小劇場公演で観たことがあるが、すじを覚えていなかったので、かえって新鮮で面白かった。 歌手では、ドン・パルメニオーネ役の小林啓倫、エルネスティーナ役の藤井麻美のほか、テノールの2人(小堀勇介、伊達達人) もよかった。管弦楽は、河原忠之指揮下の東京シティー・フィルハーモニック管弦楽団。 なお、youtubeで「結婚手形」, 「なりゆき泥棒」とも全曲を見ることができる。(2015.2.21 記)


2015.3.18:「マノン・レスコー」

新国立劇場での「マノン・レスコー」公演は1999年以来2度目であるが、新制作の今公演は、2011年3月に予定されていながら 東日本大震災のため中止を余儀なくされたものの復活公演である。従って、指揮者を除き、スタッフ及び主要なキャストは、当時の公演案内 と変わっていない。ジルベール・デフロによる今回の演出は、統一感のある明るい舞台でであったが、場面設定等では多少の違和感を持った。 まず第一幕の「旅籠前の広場」の場面は、無機的な塀に囲まれただだっ広い殺風景な集会所のようであり、せめて植木鉢くらい置いて雰囲気を出してほしかった。 また、第三幕で新大陸へ罪人を運ぶ大型船にマノンが乗り込むシーンでは、「惨めさを出すため」に意図的に乗継用の小舟の場面しか舞台に出さなかったが、 やはり少々物足りなさを感じた。衣装は、第二幕の艶やかなマノンをはじめなかなか見事であったが、脇役の多くの出演者はともかく 主役級の大富豪ジェロントまで道化師のように白塗りの顔にしてしまったのは、不可解であった。
一方、出演歌手は、皆熱演・好演であった。マノン・レスコー役の新国初登場の スヴェトラ・ヴァッシレヴァ(S)は、豊かな美声を持った美女であり適役であった。 デ・グリュー役のグスターヴォ・ポルタ(T)は、多少若々しさには欠けるともいえるが、 なかなか立派な声であった。レスコー役のダリボール・イェニス(Br)も2年前の 「セビリアの理髪師」のフィガロの場合同様強靭な美声を生かして好演であった。ジェロント役の 妻屋秀和(Bs)もいつものように圧倒的な声と歌唱力で存在感十分であった。脇役では、舞踏教師役の羽山晃生(T)及び海軍司令官役の森口賢二(Br)の声が目立った。 ピエール・ジョルジョ・モランディ指揮下の東京交響楽団の響きもよかった。(2015.3.19 記)


2015.3.28:「袈裟と盛遠」

日本オペラ振興会・日本演奏連盟の主催で石井歡作曲の「袈裟と盛遠」が上演された。芥川龍之介の同名の小説 が原作だと思い、青空文庫で読んでみたが、 主人公の2人(袈裟/盛遠)の独白があるだけの超短編であり、これをオペラにできるのかという思いがあった。しかし、 山内泰雄による台本では、核心部分は芥川の小説と変わらないが、「平家物語」や「源平盛衰記」にも題材を求め、 前後を補完して物語を完結させている。石井歡の音楽は、第一幕では、管弦楽の響きが西洋的で題材との間に多少のギャップを感じたが、 第二幕、第三幕では、音楽もドラマの盛り上がりにマッチして迫力満点であった。また、三浦安浩演出による舞台は、視覚的にも楽しませてもらった。 特に第二幕第一景の抽象化した近郊の山や第三幕で清盛が火に囲まれるシーンなどが印象に残った。また、出演者全員の色鮮やかな衣装も 大変見ごたえがあった。しかし、第三幕で現れる袈裟の亡霊の真っ白の衣装が薄すぎたためか、太ももまで透けて見えてしまったのが気になったが、 これは意図したものとは思えない。
一方、歌手(Aキャスト)では、主役の2人 遠藤盛遠役の泉良平(Br)、袈裟役の沢崎恵美(S)は、熱演・好演 であったが、個人的には美声の渡辺ノ渡役の中鉢聡(T)、白菊役の長島由佳(S)や鬼子母神役のきのしたひろこ(Ms)が気に入った。
管弦楽は、柴田真祐郁指揮下のフィルハーモニア東京。(2015.3.29 記)


(「運命の力」:2015.4.2〜14)
2015.5.13:「椿姫」

久し振りに「椿姫」を観た。このオペラは、誰が選んでもベスト5に入ることがほぼ確実な名曲であるが、今回は 新制作とのことなので大きな期待をもって出かけた。結論的には、主役の2人がよかったので、歌には満足できたが、 ヴァンサン・ブサールの演出は面白さとともに、不満も残った。床を鏡面にしたことや、最後に、巨大な 真っ赤な丸い円盤状の布によって幕を下したことなどは、なかなか効果的で面白かった。全幕を通して舞台上に ピアノを置いたのは、面白い演出ではあったが、第三幕で瀕死のヴィオレッタが横たわるのもピアノの上というのは、 少々無理に思えた。また、全幕を通して、舞台背景がブルー系の暗色に統一されていたが、舞踏会の場面や郊外の田舎家 の場面では、暗すぎた。やはり暖色にしてほしかった。
一方、出演歌手の内、主役の3人はいずれも新国立劇場初登場であったが、ヴィオレッタ役の ベルナルダ・ボブロ及びアルフレッド役のアントニオ・ポリが良かった。 ボブロは透明感のある甘い声を持ち高音の伸びもよく、大変魅力的であった。ポリも、若手の有望株らしく立派な声の持ち主てあったが、 ジェルモン役のアルフレード・ダザは、声量十分で、良く言えば渋い声の持ち主であり、父親役 には向いているようにも思われるが、多少透明感にかけるところがあり、あまり好きにはなれない。「プロヴァンスの海と陸」などはもう少し朗々と響かせてほしかった。 山下牧子(フローラ)、与田朝子(アンニーナ)等の脇役陣も好演。管弦楽は、イヴ・アベル指揮下の東京フィルハーモニー交響楽団。(2015.5.14 記)


2015.6.2:「ばらの騎士」

ジョナサン・ミラー演出の「ばらの騎士」は、新国立劇場で3度目の公演である。前回公演は、3.11の 東日本大震災直後(4月)であったことにより、キャストの大幅な変更があり、外国人歌手は2人だけであった。 今回は元に戻り5人となったが、このうちの2人は当初発表のキャストから入れかわっていた。このオペラにでてくる“乱れた男女関係”には、 共感を覚えたことは無いが、その音楽は何度聞いても素晴らしい。今公演も、総体的に適材適所のキャステイングであり、名曲を堪能できた。
演出を担当したジョナサン・ミラーは、公演プログラムの 中で、時代設定を原作の18世紀から第一次世界大戦直前の1912年に移した事の説明しており、それなりに説得力はあるが、 衣装がやや現代的ということ以外、通常の演出との差異は余り感じられなかった。舞台は、やや誇張した 遠近法を用いた 第2幕の舞台配置が面白かった。
一方、出演歌手では、当初予定のS.ハウツィールに代わった1983年ウィーン生まれの ステファニー・アタナソフがその豊かな美声と長身の整った容姿がいかされ、 大変魅力的なオクタヴィアンになった。元帥夫人を歌ったアンネ・シュヴァーネヴィルムス は、超美声という訳ではないが、高音域もやわらかく、気品のある美声を響かせ、なかなかの好演であった。オックス男爵役の ユルゲン・リンは、かって新国の「トウキョウ・リング」でアルベリヒ好演したが、 今回も持ち前の重厚な低音を響かせ、悪役ぶりも堂に入り、存在感十分であった。ファーニナル役のクレメンス・ ウンターライナーは、声も容姿も大変立派で、むしろ成金の新興貴族というイメージに合わない気さえした。一方、このオペラの花ともいえる ゾフィーを歌ったアンケ・ブリーゲルは、容姿も含めて決して悪くはなかったが、 響がやや硬く、少々期待に反した。脇役陣では、警部役の妻屋秀和、テノール歌手役の水口聡、アンニーナ役の加納悦子などが好演! シュテファン・ショルテス指揮下の東京フィルハーモニー交響楽団の演奏は、何時ものごとく素晴らしかった。なお、ごく最近、 東フィルがN饗等を差し置いて「世界の十大オーケストラ」に入っているというニュースを知った。 ご同慶の至りである。(2015.6.3 記)


2015.6.21:「沈黙」

遠藤周作の名作 「沈黙」を原作とする 松村禎三作曲の このオペラは、新国立劇場でこれまでに3度(2000/2005/2012年)上演されている。 今回の上演は、2012年に中劇場で行われた新制作公演の再演である。 遠藤周作の原作は、江戸時代初期のキリスト教弾圧時代 の極限的な状況下における司祭の「転び(棄教)」に理解を示した名作であるが、 当時の宣教師を含めたキリシタンの多くが抱いていた「殉教」に対する強い憧れが十分に描かれていない等の批判もあったようだが、 ドラマとしてなかなか感動的である。松村禎三は、長年このテーマを温め、十分な周辺調査の上、 自ら台本を手がけ、独自の解釈を加えて 巧みにオペラ化している。(余談ながら、当時の信者は気の毒に思う一方、禁教によって日本のキリスト教化、ひいては植民地化が防がれたのは幸い であったとも思う。信長にまでうまく取入った宣教師フロイスが 母国宛の報告書の中で「異教徒どもめが!」という本音を何度も吐いているように、一神教の本質的な恐ろしさは現代にも通じるものを感じる。)
音楽的には、三管編成のオーケストレーションであり、ときには大音量で重要な歌手の対話が押し潰されてしまう程の迫力があった。 ダブルキャストの歌手陣には過去の出演歌手も多く含まれていたが、今回はBキャストの日を選んで出かけた。 ロドリコ役の小原啓楼(T)を主役で聴くのは、4年前の「夕鶴」以来であったが、歌も演技もなかなか良かった。フィレイラ役の小森輝彦(Br)、ヴァリニャーノ役 の大沼徹(Br)、キチジロー役の桝貴志(Br)は、豊かな美声を活かし、やはり好演であった。オハル役の石橋栄実(S)は、10年前にこの役で聴いた時同様 素晴らしかった。
一方、宮田慶子の演出は、回り舞台の一角にやや傾けて据えられた巨大な十字架や背景のスクリーンをうまく活用するとともに、村人や子供たちの 衣装を思い切りカラフルにして目を楽しませてくれた。管弦楽は、飯守泰次郎指揮下の東京フィルハーモニー交響楽団。(2015.6.29 記)


2015.7.11:「復活」

中劇場で東京オペラ・プロデュース第96回定期公演としてイタリアの作曲家 フランコ・アルファーノ作曲の「復活」が日本初演された。彼のオペラは5年前にこの劇場で「シラノ・ド・ベルジェック」が上演されたが、 「復活」は、ビデオを含めて初めて接した(youtubeで音声だけながら全曲を聴くことができる)。 トルストイ の原作は、学生時代に読んだ記憶があるが、セザール・アノーの台本は、この文豪の大作を4幕2時間のオペラにうまくまとめている。 アルファーノの音楽も正統的なイタリアオペラにつながる作風で親しみやすい。 ダブルキャストの歌手陣は、いずれも魅力的であったが、都合でAキャストの日を選んだ。 カチューシャを歌った橋爪ゆかは、強靭な美声の持ち主であり、今公演でも実力発揮の好演であったが、この役はもう少し軽い声でも聴いてみたい気がした。 ディミトリ役の上原正敏は、声も軍服姿の容姿も役にピッタリで好演であった。 北村典子他の脇役陣も実力者揃であり、作品の良さが十分に伝わった。 馬場紀雄演出による舞台装置は、豪華なものではなく、骨格となる構築物も各幕で使い回されていたが、照明、回り舞台との組み合わせでうまく各幕に変化がついた。 特に第二幕≪ロシアの小さな村の駅≫の場面がよかった。ただ、中劇場は広角のため、場面によっては、舞台に向かって左端の席からは、装置の側面しか見えず 全貌がつかめなかった。 管弦楽は、飯坂純指揮下の東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団。(2015.7.12 記)


2015.7.18:「ドン・パスクワーレ」/「こうもり」


中劇場で開催された
新国立劇場オペラ研修所の試演会で「ドン・パスクワーレ」及び「こうもり」の抜粋上演を観た。 両作とも1時間半弱にまで圧縮されたので、主要なアリアや面白い場面がカットされたのは残念であったが、単なる 抜粋ではなく、台本もうまく圧縮されていたため、ドラマ的にも十分に面白かった(演出:粟國 淳)。今公演は、賛助出演の伊達達人 (14期生)以外は在籍の研修所生(第16期〜18期生)が出演した。

「ドン・パスクワーレ」
 出演歌手はドン・パスクワーレ役の松中 哲平(16期)、マラテスタ役の小林 啓倫(16期)、エルネスト役の伊藤 達人(14期修了)及び  ノリーナ役の種谷 典子(16期)の4人だけであり、いずれも熱演・好演であったが、美声の小林及び種谷が特によかった。特に、森麻季のように透明で伸び伸びとした 声と抜群の歌唱力を持つ種谷は、特筆に値する。

「こうもり」
ロザリンデ役の飯塚 茉莉子(16期)、岸浪愛学(16期)等も好演であったが、ここでも、ファルケを歌った小林 啓倫(16期)の豊かな美声が目立っていた。 オルロフスキー公爵役の高橋 紫乃(17期)は、初めて聴いたが、歌はなかなか良かった。なお、第3幕では、滑稽な芝居や重唱がカットされたが、 台本的には無理なく繋がり、かえって引き締まった感さえあった。 (2015.7.19 記)


2015.7.25:「いのち」

今年度の新国立劇場「地域招聘公演」として、2014年に第11回三菱UFJ信託音楽賞奨励賞を受賞した 長崎県オペラ協会のこの作品が選ばれ、中劇場で上演された。 1945年の8月、小3の夏休み中に疎開先の田舎で終戦を迎えた筆者自身は、幸い戦争に伴う悲惨な記憶は殆どないが、 このオペラや、当日劇場のロビーで入手した被爆者の手記をみると、被爆者の苦悩が実感できる。錦かよ子作曲のこの作品は、 原爆投下に伴う悲劇を後世に伝えるモニュメント的な作品の一つになったとも言える。 今公演で最も印象に残ったのは、星出 豊の演出の素晴らしさである。 まず、冒頭(序幕)満開のツツジの花をあしらった紗幕や背景の大スクリーン を組み合わせた寺院の場面の美しさに驚かされた。思い切り高さを出し、被爆する市民をバレエで表した第2幕の原爆投下の場面も、 なかなか見ごたえがあった。音楽的には、第1幕は語りの部分が多く、演劇的な要素が強かったが、第2幕、第3幕では、音楽的にもオペラ的に 盛り上がってきた。また、子供たちの童歌(第1幕)やプッチーニの旋律の挿入(第3幕)は、重く暗いドラマの中の一服の清涼剤として、効果的であった。 長崎県オペラ協会会員中心の出演歌手は、いずれも初めて聴く人たちであったが、いずれも大変な熱演であった。 特に、主役の中沢夏子を歌った松本佳代子(S)及び 松尾邦夫を歌った加々良弦(T)は、魅力的な美声を持ち、なかなかの好演であった。 管弦楽は、星出 豊指揮下のOMURA室内合奏団。(2015.7.26 記)


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